人生観が変わった!This is us遂に完結!
今の私の生きがいであり、毎日を乗り切る原動力となっていた米ドラマ THIS IS US〜36歳、これから〜。
本日遂に、全シーズン見終わってしまった。
明日からどうしよう、寂しすぎて何も手につかないーという気持ちは一旦置いておく。
それよりも今はとにかく感動と感慨深さと温かい気持ちでホクホクで、湯気が出そうなのでここで熱逃しをしたい(笑)。
キャストやストーリーはネットに掲載されている通りだが、はっきり言ってこの作品の素晴らしさは実際にちゃんと観てみないと分からない、と、偉そうに熱弁させていただきたい。
ましてや1話や2話軽く見た程度では絶対にわからない(旦那に熱心に布教活動を行い、強引に1話だけ見せたがそれっきり)。
全話見終わって、人生とは。命とは。人間とは。色々、色々考えさせられたので、思いの丈をここで綴っておきたい(暑苦しさ注意である、笑)。
人生は有限である
この作品を観て改めて強く思ったのは、【人生は有限である】ということ。
そんなことは誰でも知っているが、改めてちゃんと自分事として考えたことはあるだろうか?
ここで出てくる主人公(実に色々な人の群像劇であり、誰が主人公ということもないのだが、間違いなくメインキャストの一人)のレベッカと、自分を思わず照らし合わせる。
《レベッカ》
レベッカはとても美しい。尚、20代の若いレベッカから90歳くらい?で生涯を終えるまでのレベッカまで、同じ女優さん(マンディ・ムーア、とても綺麗)が演じているというのだから驚き。
その効果かリアリティが凄くて、彼女の一生、ひいては人の一生、自分の一生を考えずにはいられなくなる。
少しずつ皺が増えたり髪質が変わってきたりと、人が老いていく様を見る事ができる。
どんなに美しいレベッカも、歳を取る。歳を取った美しさもあるが、勿論若い時のそれとは違う。
どんなに偉大な人でも、どんなに美しい人でも、老いと死は避けられない。そんなことを思った。
一方で、レベッカの夫のジャックは、40代そこそこの頃くらいに突如亡くなる(家が火事になり、家族や犬を助けるため大量に煙を吸ったことによる心臓発作)。
長年家族は悲しみに暮れ、中でもレベッカの苦しみは想像を絶するものだったろう。悲しみに打ちひしがれているのに、子どもを育てていかなければいけない、強い母親であろうとする葛藤、気持ちのやり場のなさ、深い喪失感などがよく表されていたシーンは本気で心が痛んだ。
この時レベッカもまだ40代そこそこ。大変美しかった。
ジャックは若くにして亡くなり、可哀想、と思われがちだが、その後たびたび出てくる皆の記憶の中のジャックは、この亡くなった時のまま(つまり40代で若い)なのである。
レベッカがシワシワのおばあちゃんになっても、ジャックだけは若いまま。
人は亡くなった時の年齢のまま、記憶に残るのだなと改めて思った。そこから歳を取ることがないので当たり前といえば当たり前だが。
人は皆長生きしたいと思っている。長生きしたいけれど老いたくはない。早死にしたくないけれど若いまま人々の記憶に残りたい。永遠に若く美しい自分でいたい。
矛盾してるし無茶だし、傲慢だよなぁと、日々せっせとシワクリームを塗る自分の手をはたと止める。
人はいつまでも若くないし、必ず人生には終わりが来る。
健康で自由がきく年数はもっと限られている。
月並みだが、やりたいことはすぐにやろう、会いたい人にはすぐに会おう、と決意を新たにした次第である。
命とか運命とかの不思議さ
スピリチュアル的なことは全く詳しくないが、人生というものは不思議だと深く考えさせられた。
レベッカが天国に旅立とうとしている時、意識の中で人生列車みたいなものに乗っている。
こういうのはドラマや映画の世界ではよくある設定、なのかもしれないが、意外と本当に人が死ぬ時こういう世界にいくのかもしれないと思った。
列車の中のレベッカは若く(3つ子が生まれた30代位の姿)、真っ赤なドレスを着ていてとても美しい。彼女をエスコートするのは既にあちらの世界にいるウィリアム(3つ子の末っ子として養子に迎えたランダルの実の父)。
ゆっくりと各車両の中を歩いて進んでいく。
そこには最愛の子ども達(その姿は子どもの時だったり、現在の姿だったり、両方がいたり様々)、孫たちなど大切な人達が乗っていて、その場その場で会話をするのだが、ここで皆がレベッカに話しかけている言葉は、実際には現実の世界で横たわる彼女に一人一人言っているお別れの言葉である。
ある時ウィリアムが、バーのある車両に行こうとレベッカを誘う。そこでバーテンダーをやっているのは、3つ子を取り上げた産婦人科のDr.Kだ。Dr.Kの存在はこのドラマが素晴らしい理由の一つで、その言葉の一つ一つがとても心に残る。
Dr.Kはウィリアムに連れられやってきたレベッカにこう言うのだ。
消えゆくはずの命が長らえ、生き延びるはずの命が消えゆく。
それはもう神の領域、天のはからいであることに違いないが、何かこう、意味があるような気がしてならない。
パラレルワールドでは、レベッカが出産で亡くなり、ジャックが男手一つで3つ子(三番目の子は無事に生まれる)を育て上げる世界もあるはずだ。
または、三番目の子は同じく助からないが、養子は取らず、双子としてジャックが育てる、途中で誰かと再婚という世界もあるはず。
どれか一つでも違っていたら、ジャックが火事で死ぬことはなかったかもしれない。
ランダルは消防署に捨てられたまま孤児院とかに送られたかもしれないし、そもそも捨てられないかもしれない。
パラレルワールドは無限に存在するというが、少なくともレベッカが奇跡的に助かった、という所から運命の歯車が違う方向に回り始めたのではないだろうか、と思わずにはいられない。
一つ一つの命は尊い。ただ、死んだら終わり、なのではなくて、輪廻転生というべきか、死にも生にも意味があり、偶然は必然であり、うまく言えないが不思議な力に動かされているような気になる。
本当に命とは、人生とは、不思議なものである。
親子って難しくて不思議で尊い
This is usは家族がメインテーマである。が、よくある心温まる家族の話、ではない。全くない。これは文字通り、私たちの話なのである。現実によくある話。美しくないし、泥臭いし、それがまた美しかったりする。
例えば3つ子の一人目ケヴィンは、長身イケメンで女性にも不自由しない、が、満たされない思いを常に持っている。妹弟に比べ自分は親に愛されていないという思いをずっと持ってきた。
3つ子の二人目ケイトは、幼い頃からスマートで美しい母親(レベッカ)と自分を比較し複雑な思いを抱く。自分の苦しみは親には分からないと距離を取り、良い関係を築けるようになったのは自分も親となり、うんと時が流れてからの話である。
3つ子の三人目(養子)ランダルは、自分だけ肌の色が違うことに気付いてから、本当の親を探し求めてきた。が、親は見つからず、本当の気持ちを封印し、ピアソン家に馴染むためにあらゆる努力を重ね勤勉となる。レベッカを陰で助けることもしばしば。
母親に媚を売って特別扱いされている、とケヴィンから長年思われてきた。
3つ子だけでもこんな感じだが、他の皆もそれぞれが親との関係に複雑なものを抱えている。
案外それが、普通なのかもしれないなと思った。
私も、親と仲良し♫なタイプではない。かといって仲が悪い訳でもない。分かり合えない部分も多分にある。
親子関係って不思議だ。そして時の経過と共に変わったりもする。大切なのに、ないがしろにしたりする。こういう親に育てられた私って、、とブルーに思う時もあるし、心から感謝できる時もある。
自分が親となった今では、自分がやってもらったように、と手本になることもあるし、逆にああはならないと反面教師となることもある(親は親で、子どもに対して色々と思っていることだろう)。
それが、親子というものなのかもしれない。
複雑な思いを抱えていても、それは珍しいことではないし、むしろ毎日関係良好!大好き!ずっと一緒にいたい!って人の方が嘘くさいではないか(笑)。
色々とあったって、案外みんなそんなものだろうし、それでいいのだと改めて思った。
Dr.Kの名言
このドラマは珠玉の名言で溢れているが、中でも私が好きなとっておきの一言を紹介したい。
3つ子を取り上げたDr.Kが、夫のジャックに「三人目が助からなかった」と告げた時、この言葉を最初に言った。
そしてジャックの死など様々な苦難を乗り越えてきたレベッカにも言った。
人生は酸っぱいレモンだらけだ。
それでも、時間はかかるかもしれないが、いつか必ずレモネードに変えられる。
一度きりの人生、せっかくならとびきり美味しいレモネードにしてみようじゃないかと、若かりし日のDr.Kとレベッカ、ジャックを浮かべながら思った。
◇◇
とにかく、人生は有限であること、与えられた命を精一杯生きること、そんなことを改めて感じさせてくれたThis is us。
私と同じように感銘を受けている方がいたら、いつか名場面、名セリフ、推しキャラなどを好き勝手語り合う会でも開きたい。
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