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娘爆誕裏話3〜謎の発熱

娘誕生までのトラブル満載っぷりを、引き続き紹介したい。

今回は謎の発熱編。ご時世がご時世だけに、また生きた心地のしない日々がやってきた。珍しいケースだと思うのであまり皆さんの参考にならないかもしれないが、こういう不思議なこともあるよ、という軽い感じで気軽に読んでもらえたら幸いである。

前回までの話はこちら。

息子の風邪をもらう

昨年8月。ついに臨月となり、予定日を意識してソワソワする時期に突入した。よりによってそんな時に、息子が久しぶりに熱を出した。

昨年8月といえば、何を思い出すだろうか。東京オリンピック?勿論それもあった。だが妊婦であった私にとって一大事だったのは、コロナ第五波の真っ只中であった、ということだ。

そして私が不安と恐怖で押しつぶされそうになったのは、「コロナに感染した妊婦が病院に受け入れてもらえず自宅で出産、赤ちゃんが死亡した」ニュースであった。同じ頃妊婦だった人たちは、私と同じく多かれ少なかれ不安になったことだろう。コロナの恐怖がいよいよ他人事ではなくなった、あまりに残酷なニュースであった。

日々増え続ける感染者数。もう、すぐそこまで忍び寄っているーぎりぎりなんとか凌いできたが時間の問題、といったような緊迫感。得体の知れない恐怖。
妊婦でなかったらまた違ったのかもしれないが、とにかく毎日不安だった。

そんな時に!である。息子が発熱。
家族みんなでとりあえずフリーズした。
えっと、落ち着け、まずどうすればいいんだっけ。

PCR検査が受けられない

コロナ前なら、「あら、熱出ちゃったか、小児科行くか!」程度のことなのであるが、ご時世がご時世。
しばらくフリーズしていたが、とりあえず、家族全員その場でマスクをした。

息子がコロナかもしれない。それはそれで大変な事態だが、息子が感染したらほぼ100%私も感染するだろう、もう遅いのかもしれないが、できる限りの対策をしなければならない。

とにもかくにもPCR検査である。そこで陰性ならば、ただの風邪だろうということで、そこまで恐れ慄く必要はない。私たちはPCR検査の予約をすべく、近所中の病院に電話をかけた。

が、当日予約は受けられない・そもそも子どものPCRは行っていない・受けられたとしても結果は最短三日後ーなど、そんな病院ばかりで途方に暮れた。

電話をかけまくり、調べまくっている間も、ずっとマスクで過ごす私たち。息子はまだ当時5歳。隔離できる年齢ではない。

実は息子は熱性痙攣持ちで、入院したこともあるので、発熱当日の夜中は心配でほとんど眠れなかった。
それにプラス、一日中マスク着用、臨月の重い体、先の見えない不安などなどで、体調が悪くなった。私も移ったのだろうか?コロナだったらどうしよう?

あまりにもPCR検査を受けられる機関がなく、すがる思いで「臨月の妊婦なんです」と電話越しに訴えても全く効果はなかった。
当時は少しくらい優先的に対応してくれても良いのに!と憤慨したものだが、ではお年寄りはどうなるのか、持病のある人は?乳児は?など、あげたらキリがないので特別対応はなかったのだろうと今でこそ理解できる。

そんな中、旦那がある病院の情報にたどり着いた。場所は遠いのだが、翌日午前中に検査が受けられ、その日の夕方までに結果がわかるというものだった。
散々調べ、電話をかけているうちに、その日はあっという間に夜になろうとしていたので、それでいこう!ということになった。

車でしか行けない距離のため、旦那は早速カーシェアリングで車を手配してくれた。

こういうお宝情報を見つけ出すのが旦那は得意である。そのことについて今まで何とも思ったことはないが、この時ばかりは感謝した。
あとはコロナでないことを祈るばかりであった。

やっとこさ検査、そして

翌日、いざ検査を受けに、息子と旦那が早々に出かけた。
実はこのとき息子の熱はほぼ下がっており、なんだか元気に出かけていったのが滑稽だった。

息子は病院が大の嫌いなのに、検査の類は好き、という相当変わった性分である。まるでドライブにでも行くかのような雰囲気で、なんならちょっとお洒落して出かけていった。

息子の熱が下がって本当に良かった。熱性痙攣の心配もなくなり、一安心。PCRもきっと大丈夫だろう、そんな気がした。

気になる結果は、無事陰性。
よかった!よかった!よかった!この時は本当にほっとして、息子も元気になって、神様に感謝したものである。

もう何度ヒヤヒヤすればいいのだろう。これがきっと最後であろう。あぁ本当に今回の妊娠は、全く。でも良かった。
あとは出産に備えて心と体を整えるのみ!と明るい気持ちになり、久しぶりによく眠ることができた。

この後に起こることなど、知る由もなく。

今度は私が発熱

よく眠ることができたのはこの日のみであった。翌日夕方頃から、なんだか体がおかしい。食欲がない。だるい。
念のため恐る恐る熱を測ったら、微熱があった。

息子から完全にもらったな。そう思った。だとしたらコロナではないし、すぐ良くなるだろうーそんなことを思っていたが、次の妊婦検診のこともあったので、病院に電話で確認してみた。

ちなみに私が娘を出産した大学病院は、「コロナに感染、または疑われる症状がある場合、帝王切開になる」ことが決められていた。書面にも同意のサインを書いた。
なんでも、自然分娩の「いきみ」によって、ウイルスが拡散するというのであった。

ここから出産までの約2週間、私はこの「帝王切開への恐怖」と闘い続けることになる。

病院からは案の定、PCR検査を受けてくださいと言われた。ちゃんと受けた。陰性だった。それでも私の心はずっと晴れることはなかった。

なぜなら、熱が下がらないのである。
3日経っても、5日経っても、1週間経っても、微熱がずっと下がらなかった。
明らかにおかしい。私は何かの病気なのか。
いくらPCRが陰性でも、熱がある以上病院に行くことは許可されず、妊婦検診も、妊娠糖尿病の内科の診察も全てキャンセル、自宅で悶々とする日々が始まった。

ここからが本当の闘いなのであった。

原因不明のままただ横たわる

謎の発熱。コロナでもない。他の原因を疑って色々検査をしたが、どこも異常はなかった。
不思議なのが、夕方から夜中はけろっと平熱に戻り、朝になり1日が始まり出すと熱が上がるという独特のパターンが定着していた。

医者もお手上げ状態で、原因不明の熱とのことだった。変な病気でないことは一安心だが、原因がわからないのも辛い。
ただ一つ考えられる可能性としては、ホルモンの影響ではないかとのことだった。

人のホルモンは一日が始まり活動を開始すると活性化する。夜になると静まる。体温もそれに影響されるが、一時的に顕著に作用している?とのこと。もしくは出産が近づいていることにより、女性ホルモンが何かしら影響を及ぼしているとのこと。

全くしっくり来なかったが、「ホルモンの影響かもしれないとのことです。」と言った所で、発熱が続いている限り病院に行くことは許可されなかった。妊婦検診もしばらく受けておらず不安になった。

おまけに「前回のPCR検査から日数が経っているので、もう一回PCRを受けてください」と言われる始末。
言われた通り、もう一回PCRを受けた。また陰性だった。私の悶々はますます募っていく。

PCR検査は上述の通り、そんな簡単には受けられないのだ。臨月の妊婦が猛暑の中、検査を受けるために長時間列に立って並ぶのである。息苦しいのはマスクのせいだけではない。お腹は重いし、腰は砕けるように痛い。何より頻繁にやってくるお腹の張りが恐怖であった。

お腹の張り、イコール前駆陣痛のようなものである。

今、生まれてはいけない。
今、生まれたら病院は受け入れてくれる?
帝王切開になる?
もし受け入れてくれなかったら?
(あのニュースが頭をよぎる)

ただただ不安と恐怖と闘いながら、なすすべもなく横たわるのであった。

結局、何だったのか

実はそれから2回ほど、破水疑惑があり救急にかかった。一度目は発熱の最中でPCR検査の結果待ちという最悪のタイミング。受け入れてはもらえたのだが、皆が防具服で完全防備。いわゆるレッドゾーン的なところに入れられたときは悲しくなった。

息子の風邪をもらっただけなのに。

二度目はまだ微妙に体温は高かったものの、再びの検査で陰性を証明できていたため、今度はゆっくり迎え入れられた。

結局いつになっても、「朝になったら微熱が出て、夕方頃に何事もなかったかのように平熱に戻る」というサイクルが変わることはなかった。

本当に不思議なのだが、娘が無事に生まれた瞬間から、常時平熱になった。微熱に悩まされることはパタっとなくなったのである。
妊娠糖尿病ではないが、これまた人体の不思議。

さて、あれは何だったのか。
自分で思うに、「ストレス」だったのかもしれない。ストレスにより発熱が続くということが、どうもあるらしかった。
医者が言う通り、可能性としては「ホルモン説」もあったが、なんとなく自分で「違うだろう」と感じている。

コロナの第五波真っ只中。信じられないほどの感染者数忍び寄る恐怖悲惨な妊婦と赤ちゃんのニュース
そんな中での孤独な妊娠生活帝王切開になるかもしれない恐怖。

長きに渡る不安や緊張感がストレスとなって、現れたのだろうと自分では思っている。

心と体は一体だ。改めてそんなことを思った。

娘が産まれたとき

相変わらず謎の微熱が続く中、突然、予定日より早く娘は産まれた。
夜中にトイレに行った後、寝室に戻ろうとした際、破水したのである。

朝方だった。私の不安はいよいよ始まる出産という大仕事、ではなく、もっぱら“私の体温”であった。

病院に電話をすると、体温をその場で計らされ、きかれた。36.8度くらいだった気がするが(いつもより高い)、36.6度と思わず偽ってしまったのを覚えている。

陣痛タクシーで病院に向かい、また検温があった。正確な体温を測るため、時間のかかるタイプの体温計だった。ドキドキしたものである。

すぐに鳴る体温計は、体温の上がり具合から推測して、大体の値を出すらしい。要するに正確な体温ではない。
正確な体温をちゃんと測るにはそれなりの時間がかかるという。10分くらいひたすら体温計を脇に挟み、「どうか、神様。どうか、自然分娩で産めますように。」とひたすら願っていた。

長い長い測定時間を終え、体温計が鳴った。
36.9度ー

ドキドキしながら助産師さんに体温を報告すると、びっくりするくらいあっさりと「わかりましたー、じゃあ尿検査しまーす」とのことで拍子抜けした。これは、クリア、ということか??最後まで油断できなかった。

思うに、たった0.1度の違いなのに36.9度と37.0度の違いは大きい気がする。あの時37.0度だったら、もう一回測っていただろうか。それでもっと上がったら?私は帝王切開になっていたのだろうか。

結局、いつまで経っても帝王切開の話などは出ないままで、バタバタと陣痛室に移動となった。

ああ、きっと、普通に産めるんだ。
よかった。

そんな安堵もひとときのこと、そのうち陣痛でそれどころではなくなったのであった。

しかし娘は空気が読める。朝方でまだ体温が上がりきっていない時間帯の破水、二回目のPCR検査からそれほど日数が経っていないタイミング(また変に間が開くと、微熱がある以上また受けなければいけない羽目になる)。
完璧であった。

2回目の出産とはいえ陣痛は痛すぎて、気が狂いそうだったが、無事に産まれたときは心底ほっとしたものである。

ここまでどれほど色々なことがあったことか。
無事に産まれた娘の顔を見て、全てが報われた気がした。
「ほっとする」「安心する」って、この日のこの瞬間のためにある言葉だったのだと思った。

こうして娘が爆誕。
その日から微熱を出すことはパタっとなくなった私であった。

あとがき

人生は原因不明、謎なことが起こるものである。もし、謎の微熱が続いていて、病院に行っても原因がわからないという方がいたら、極度のストレス状態が続いていないか?振り返ってみることをお勧めする。そしてストレスの元が解消されたら、嘘のように治ることがある、ということを伝えたい。

これでドタバタ群像劇は最後とさせていただくが、次回はキャリアや生き方といった観点から、今回の妊娠・出産を振り返ってみたい(まだ続くのか?!というツッコミはさておき)。

そんな娘は只今9ヶ月。本日生まれて初めての熱を出し、療養中である。



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