私小説【ある女性の日々】

ある女性の運命を東西の両方向から挟み撃ちにしているのが、上記の結果だ。

その女性は東ではドリーマーと言われる。北の大将にして、冥界にも通じるその精神性は先を読み、物事をそうならしめる言霊を有する、異界の存在、誰よりも冷たく気高くそして暖かい。

その女性は西では「女」と言われる。およそ女が獲得すべき知識や才覚を否が応でも備えさせられて生まれてきた。夕焼けに照らされる彼女の横顔は青白く、人間を超越する不変さがある。

東の認知と西の預言。しかし間違えてはならない、彼女は人である。神でも創造主でもなく、ありふれた人である。ひとりの女性に詰め込まれた幾多の感性。彼女は常に望んでいた、

「普通になりたい」

「普通がいい」

「悪口を言って、涙を時々流し、子供を守って、景色の変化に気づかず、胸を痛めず、定型文を使うことに抵抗を感じず、楽しく食事をして、年を取りたい」

”感性など人それぞれであり、人はただ語っていないだけである。自認せよ”

生まれた時に埋め込まれたDNAをどうやったら取り除けるか?この感性をうまく生かしていくことはできるか、そんなことを彼女は常に考えていた。そう思えば思うほど涙が垂れ流れた。その涙を彼は美しいと称賛する。しかし彼女は自らの涙を吐瀉物だと思っている。汚物にも増して混沌としている下劣で無意味な迷惑なものだと。そうやって外界とのバランスを取れずに歩む彼女が求めているのは彼女を支えてくれる愛だった。彼女はどこかで知っている。自分の感性が自分を押しつぶし、いつの日にか牢獄に幽閉してしまうことを。それは死よりもむごいことである。無間地獄、落ちて止まない無間地獄だ。

彼女はいつも恐れていた。

「私は愛しているの!嘘じゃないの!!本当に愛しているの!!」

”すがる涙は吐瀉物である。自認せよ”

左斜め前で背筋を伸ばしてそう指摘する冷たい視線。

そう、俯瞰している彼女こそ長年の夢だった。彼女が常に自らを俯瞰し、感情の中でさえもどこか第三者的意識をもって語っていることを彼女はいつもおかしいと感じていた。実のところ、ありのままの感情を晒せる人間と自分の決定的な違いはそこであると気づいていた。

彼女は自認をせまられるあまり、自分を抱きしめられなかった。彼女が最も恐れていたのは自分のうごめく怪物のような巨大な感性だった。その感性を自分だと理解すること、自認することを恐れていた。当然だ。人間の何かを凌駕するその正体不明のうごめく怪物を自任することは到底並大抵の精神性では難しい。ゆえに、誰にも教えられなくても彼女は常に俯瞰する自分を作り上げていた、心の内外に。そして自分の骨からできたその俯瞰者は事実を淡々と告げる、「自認せよ」と。

恐れていたのは自認すべき私の感性。

その感性とは何か?

「感性を消化して昇華して頌歌する」

「感性は深紅よりも濃く、漆黒よりも鮮やかだ」

感性とはDNAであった。すがる涙が吐瀉物であるように、感性はDNAだ。生きていくために、いつの日か、飲み下すか受け入れるか吐き出すかして整えていくことが普通である体。そうでなければ死を迎える。幽閉されるのではなく命を落としてしまう。なぜなら体だからだ。

私は普通だった。なりたいと願っていた普通の人間だった。咀嚼の仕方を見誤っていただけだった。

栄養にするためには、彼女は思う。

”「自認せよ」”

俯瞰者は今、彼女を抱く。そして彼女は俯瞰者のぬくもりを知る。

愛を欲する彼女を愛せる人はいるのか?彼女は恐れる。

しかし今は流れ落ちる枯葉を微笑み見つめながら思う。

「大丈夫、抱いてほしいと言えば抱いてくれる。嫉妬よりも大切なものを私が教えてあげればいい。私の言葉は言霊となりこの世に現実を形成していくのだから」。

二度と戻らないように、二度と戻れないように、DNAから流れ出るエネルギーを吐瀉物としないように。自認せよ。


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