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#32 敵を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず。ほんとうの幸せを支えるモノを知る

そのうち治ります、もう少しの辛抱です、と言われていた腸炎は、サイトメガロウイルス腸炎と言われるものだった。
腸炎が始まったのが2月の20日くらい。酷くなって、下血を伴うようになったのは3月初旬。CRP(炎症マーカー)は、39という、ちょっと見たことない、という高値だった。
ココからは、鍋底、どん底景気で皆様にご心配をおかけした理由の一端をご説明申し上げます。


主科(メインの診療科)の産婦人科のドクターの、「酷い下痢症状は放射線治療によるものだから、治療が終われば治ります」、「身体のために無理しても食べたほうが良い」、という言葉に、すがる思いで暗夜行路を行けども行けども、体調は良くならず。
栄養が取れないので、免疫力もびたびたに落ち込み、ホネカワスジエモンになって、国立がんセンターからも、これではラルス(#31ご参照)も出来ません、と断られた3月半ば頃。首筋から中心静脈に、ダイレクトに輸液を入れられるCVポートを開けた。
若いけどとてもしっかりとした放射線科の女医さんが素晴らしく絶妙な位置にポートを留置してくださった。
程なく、高カロリー輸液の点滴が始まった。
8時間くらいかけて、1000ccを落とす。
実はコレ、一袋1200キロカロリーもあるという…!!
カツカレーひと皿分だ。
ワタシはひたすらホンモノのカツカレーが食べたい…。
いまなら、あのゴーゴーカレーでも平らげられそうだ。

CVポートを開けてから、少し体調も持ち直し、なんとか、国立がんセンターのラルスのミッションを完遂した(このドラマは別項にて)。

が、良くなるはずの腸炎が治らない。
栄養も、入れたそばから出ていくので、身体も良くならない。
とうとう、院長先生が消化器内科にコンサルしてくださった。ほどなく、大腸内視鏡検査となった。

結果、教科書に載っているような酷い潰瘍が、ところどころ腸管を深くえぐりながら、広がっているのがわかった。
細胞診の結果を待たず、前述の、サイトメガロウイルス腸炎でしょうとの診断となり、翌週より特効薬の投与も始まったのだった。
ちなみに、この、サイトメガロウイルス腸炎、絶食が基本。殆ど喉を通らなかったけど、無理して食べていたのも全くNGだったのだ、、、!
回復への道筋がついたのは、4月に入り、花散らしの雨が降った頃のことだった。

いつも、耳に、愛する皆様からの応援の声が聞こえる。
かつて、不治の病とされた結核を患いながら闘病した稲盛和夫や、病弱で大変なご苦労をされた松下幸之助などの、偉人の精神力、忍耐力、豊かな人間性を持ち合わせていないワタシでも、
ワタシを信じ、支え、快復を祈ってくださる皆様のおかげで、なんとか、立ち向かえる。

幸福ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない、ということを強調したい。恐らく大切なのはそんな悲しみのほうなのであろう

『河合隼雄の幸福論』

深い悲しみによって支えられていない限り、それは、ほんとうの幸せではないかもしれない、
という思いに、いまは、共感できる。

きっと、誰しもが、表面には見えない深い悲しみな経験をしているのだけど、日々の付き合いでは、なかなか見えないし、わからない。長く生きていれば、辛い別れも多く経験する。そういう、深い悲しみを知っているひとほど、陽だまりの温もりをくれる。モノやお金じゃなくて、ほんとうの幸せを大切にしているからだ。

遅筆のせいで、闘病記と現況に大きなズレが生じてしまっているのだけど、治療は順調だ。
すっかり、がん患者から腸炎患者に変身してしまったけれど、ワタシの癌も、なかなかにしぶとい(このエピソードは次項にて)。本当に、いったいぜんたい、誰に似たんだか。

写真は、大尊敬する先輩で、しかも癌サバイバーの方頂戴したもの。リハビリで歩かれたという三月の大野山からの、富士の眺め。
ココの空気を吸えたら、パワーアップ出来そうだ…!




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