Facebookが毎年教えてくれる父の笑顔
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8年前のきょう2004年6月21日は入院中の父を家に連れて帰り麻雀をやっていた。
父はゲームとしての麻雀が大好きで、若い頃小島武夫と卓を囲んだことが自慢だ。
小島武夫、誰それ?
知らない。
だから私にはもちろん、私の娘にも保育園の頃から麻雀を教えていた。
最初はおもちゃの「ポンジャン」だったが「物足りないな」とすぐに本物の麻雀になり、娘だけは役なしでも上がれるローカルルール適用。
雀士・父は、たとえ保育園児相手といえども容赦なし。
娘が振り込んだり、負けたりして泣いたら、「泣くならやめる」と。
どんな教育なんだ。
おかげで娘はフェアでたくましい人間に育った。
おかげなの?
麻雀とは関係ないが、ついこの前、従姉妹が父の若い頃の写真が出てきたと送ってくれた。
なかなかの、いやかなりのイケメンだこと!
70年経つと人はこうも変わるものなのか…。
年月おそるべし。
父はずっと無口だった。母がそれはもうよくしゃべるタイプで、父の姉妹は女ばかり。
親戚が集まると女たちが、われもわれもリピートリピートエンドレスでしゃべるしゃべる。
誰かが、父に何か聞いても母が答えるという、ささやき女将真っ青の「成り代わり女将」がそばにいたから、父はいつも黙っていた。
でも、母が亡くなって、父がひとりになったら、けっこうしゃべる。
しかも意外と面白い。
そうか。
母がしゃべるから、出る幕がなかっただけだったんだ。
最後の1年半、父とどうでもいいことを話せたのは、後悔の多い介護の中でよかったことの一つだ。
どうでもよすぎて、心に残る名言や感動の一言的な言葉が何もないのが父らしくていい。
話はそれたが、この日は私のひとり勝ちだった。
メンツが揃わず3人。でも父は楽しんでくれた。
この頃の父はだいぶ痩せていて、記憶、言動いろいろ怪しいところもあったが、麻雀杯を前にすると俄然しゃきっとしてた。
病院に戻って看護師さんたちに「みんなまだまだだな」と偉そうに言ってたらしい。
新聞を読み、麻雀を前ににまにましている姿は、この5日後に亡くなるとは思えない。
毎年、このお知らせが来るたびに、この日に麻雀やってよかったとしみじみ思う。
4人でやれたらもっとよかったし、最後になるなら勝たせてあげればよかったとも思う。
でも、勝負に手加減しないのが父の教えだから、これでよかったのだと思っている。
麻雀とチョコレートとコーラが好きで、くそがつくほどまじめで心配性な父。
もうすぐ命日。
若い頃の写真まで公開してごめんよお父さん。
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