ふんわりパン

1000文字くらい書きます

ふんわりパン

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ふかふかのみちしるべ

1000文字くらい書いていこうと思います。たくさん書きませんし、少しだけにもしません。有料記事はつくりませんが、コーヒー代ぐらいいただけると励みになります。毎月更新できるかはわからないです。 好きな食べ物はパン。 好きな作家は群ようこ。

    • コーヒー

      わたしには好きな人がいた。 こどものころは味覚がおおざっぱだ。甘ければ美味しい。苦かったり酸っぱかったりするものの良さはあまりわからない。さかなのハラワタや酢の物は存在意義がわからなかった。多く、人はこどもの味覚のまま歳を重ね、何らかのきっかけで味覚が大人になったことを知る。 苦さの良さがわかってくる。 幼い頃のわたしにとってのコーヒーとは、「コーヒー牛乳における添加物」でしかなかった。それもあらかじめ誰かに調合された液体としてのコーヒーしか認識していなかった。苦いし、

      • 玉子焼き

        玉子焼きは人生に似ている。 均一な溶き卵が突如の変容を示し、ソトとウチに分かれていく。自我を持ち、自分の役割を感じ、カワとナカミに分かれていく。玉子焼きは「均一さを由来としたコントラスト」である。 もともと鮮やかなコントラストをもつバーガーやパフェとは一線を画する。出自を異にする。またコントラストを持っていないお茶や白米とも性質が異なる。 たまごかけご飯にしろ、納豆に玉子を入れるにしろ、目玉焼きにしろ、スクランブルエッグにしろ、「なるべくしてそのカタチになっている」もの

        • ざるそば

          ざるそばは、かなり偉い。 エンターテインメントの提供方法として「博物館」型、「遊園地」型というふたつのやり方がある。曰く、「博物館」には順序があり、「遊園地」は順路がない。「漫画」と「辞書」と置き換えても良いし、「修学旅行の日程」と「その自由時間」と考えても良い。 ある手順を要求されるものがある。 刺し身を食べるとき、まず菊を醤油につけてご飯を食べることはしない。刺身のツマから食べることもしない。刺し身には刺し身のルールがあって、ある手順を要求される。 回転寿司にも一

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        ふかふかのみちしるべ

          おしごとのいらいをできます

          なにかをたくさん書いたりできます。音楽や漫画や写真集なんかにふさわしいテキストを書けます。 でもいらいをできません。

          おしごとのいらいをできます

          ひまわり

          夏を是とし、温かいものと暖かいことを崇拝してきた。エアコンを導入したのはつい最近のことだ。夏は暑いものだし、暑さことが生を感じさせてくれる。汗をかくのが好きだし、汗だくになりながら食べる氷菓が好きだし、アツアツの湯に入るのも夏の醍醐味だ。夏に生き、夏に向かって熱い呼気を吐き出す。夏を起点として一年がまわっていく。風鈴、プール、山登り。夏に関連するものは概ね好きであるという自負がある。自他ともに認める夏の使徒である。 何事にも例外がある。ひまわりが嫌いだ。 後ろめたさのない

          バニラ

          焼きそばには具を入れないのが好きだ。肉はなくていい、野菜もなくていい。食パンはそのまま食べるのが好きだ。焼かなくても良いしバターもいらない。ジャムやハムやその他、飾りたてる何かは必要ない。 スタンダードな味を好む傾向にある。 スタンダードなものを好む傾向にある。 何かしらの装飾を嫌う傾向にあるし、飾り立てることを避けることが多いし、柄物よりも無地を好む。 多くの商品は飾り立てること、付加価値をつけることで、自分の優位性、上位的な立場を示そうとしている。プレーン焼きそば

          オムレツ

          わたしのオムレツは夜の味がする。 当時、クズみたいな男と付き合っていた。急に呼び出されては吹雪のなか歩いていったり、せっかく会ったのにすでにベロベロに酔っていたり。クズっぽいエピソードが記憶の大部分を占めた。それでも、お酒の美味しさを教えてくれた人でもあるし、夜に出歩くことの楽しさを教えてくれた人でもあるのは確かだ。 わたしはほとんどお酒をやらない。人とあっているときはなおさらだし、自宅でもできればお酒を飲まずにいたい。自分を失ってしまうのが嫌、陽気になりすぎるのも嫌、羽

          雨樋

          嵐の夜には物言わぬ獣たちが暴れだす。 「暮らしの音」というものがある。まな板に包丁が当たる音、湯気を吸う換気扇、ジジジと物思いに鳴く電気機器。「暮らしの音」は良い。人工物でありながら、それぞれの道具ごとの呼吸で音を立てている。あるものは人に寄り添ったタイミングで、あるものは自分なりのタイミングで。 脳みそは「暮らしの音」に対して冷たいので、注意しないかぎり背景音としてかき消されて処理されてしまう。聴き慣れた音をなかったことにできる機構はつくづくすごい。この仕組みのおかげで

          玉子焼き

          玉子焼きにつよい思い入れがある。 東北地方は砂糖を使った調理が好まれ、いろんなものが甘いときく。我が家の玉子焼きは出汁が多め、甘さ控えめではあったが、れっきとした「東北の玉子焼き」だった。上京してから「甘くない玉子焼き」の存在をしって、なるほどなあ、東北らしいものを喰っていたのかと思った。 玉子焼きは不思議な食べ物だ。 均一に混ざった液体が、ある時を境に「わたしは皮です」となり、「わたしは中身です」となる。食材が主体性をもって役割分担している食べ物が大好きだ。食パンやフ

          カプチーノ

          シナモンが嫌いだ。 コーヒーが好きで、カフェラテが好きで、カプチーノが大好きだ。家でもカプチーノをよく作るようになったし、たくさん作ることでだんだんと慣れてきた。ドリップはずっとうまくできなかったけれど、最近、少しずつ美味しいコーヒーが淹れられるようになった。喫茶店で「ブレンド」と頼んだ時のようなものも極稀にだけれどもカップのなかに出現してくれる。 その「極稀」と同じぐらいの確率だけれど、カプチーノにシナモンを入れてくる店がある。シナモンパウダーをこれでもかとふりかけてく

          西武新宿線

          西武新宿線の情景が良い。 線路沿いに歩きながら金網越しに見る西武新宿線が良い。高架化した中央線は都会然としていて風情がない。ばくだいな資金を投入した合理的なシステムができあがっていて、あくまでもここは東京だといわんばかりの仕組みが、趣ある匂いとは遠いものだと感じさせる。 西武新宿線には生々しい生活感がある。 夜遅くに新宿へ向かうときには各駅停車が良い。歌舞伎町で働く女達がつぎつぎと乗り込んできて、多くの人が高田馬場で乗り換えるのも横目に、終点・西武新宿駅へと流れ込む。東

          日傘

          今となっては、わたしは色白なほうだと思う。 人生はいろいろな人に影響されてできあがっていく。こうするぞという方針を与える人、こうしないぞという流れを決定づける人。わたしにとっての祖母は「こうしない」について圧倒的説得力をもった人だった。 わたしが生まれるはるか昔のこと。祖母は病気がちで日に当たることが少なかったのだとか。わたしが生まれてからいきなりおばあちゃん然としており、いまでもおばあちゃんなのだから、字面からだけならおばあちゃんを煮詰めたような人なのに、とても色白で肌

          2020年4月6日

          昔からお金がなかった。遊ぶといっても限りがあった。 その習慣は今になってもあまり変わりはない。なるべく安上がりで、なるべく長時間楽しめるものが良い。読書や音楽鑑賞、テキストを書いたり植物の世話をしたりするのはだいぶお金がかからないし、だいぶ長い間楽しめる。 カラオケにはだいぶ通った。田舎のカラオケはフリータイム八時間歌いっぱなしでも数百円だったりするのでずいぶんお世話になった。エアコンもドリンクバーもついている。わたしにとって安い遊びの代表格がカラオケだと思っていただけに

          生活メイド

          わたしはメイド服が好きだ。 好きだから着ているし、着るのも見るのも眺めるのも好きだ。秋葉原にいるくたびれたメイドがフライヤーを配っているのも好きだし、店内のメイドが汚いエプロンで仕事しているのも好きだ。残念ながらわたしのエプロンも汚い。いくら漂白剤を使おうがとれないシミがたくさんついてきた。 同じメイド服は四、五着はもっていて、それを適宜ローテーションして使っている。いくつかの候補があったものの、毎日洗濯してもへたれず、漂白でき、ユニクロ程度の金額で買えるものを常用してい

          生活メイド

          女の子の境界線

          わたしたちが考えうる限り必要に応じてものごとには名前がつく。パック寿司の緑色のギザギザにも名前があるし、ステープラーの芯にも名前がある。ふんわりとした概念であっても名詞化することで確固たる概念になることが多い。「エモい」や「キモい」はそれ自体がしっかりとしたカタチをもたない単語だけれど、人に尋ねれば「これはエモい、それはエモくない」などと漠然としたカタチのウチとソトを区別してくれるに違いない。 名詞がつけられ、ひとによって分類されたときに、そこには「ウチ」と「ソト」が生じる

          女の子の境界線