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生活メイド

わたしはメイド服が好きだ。

好きだから着ているし、着るのも見るのも眺めるのも好きだ。秋葉原にいるくたびれたメイドがフライヤーを配っているのも好きだし、店内のメイドが汚いエプロンで仕事しているのも好きだ。残念ながらわたしのエプロンも汚い。いくら漂白剤を使おうがとれないシミがたくさんついてきた。

同じメイド服は四、五着はもっていて、それを適宜ローテーションして使っている。いくつかの候補があったものの、毎日洗濯してもへたれず、漂白でき、ユニクロ程度の金額で買えるものを常用している。メイド服はおしゃれ着ではなく作業着だ。使い込むくらいがちょうどいいし少し汚れる程度でちょうどいい。汚れたエプロンこそ生きたメイドという実感がある。

スカートは膝下がいい。なんとも清楚でいい。使用人に清楚もなにも関係あるのかはわからないし、わたしは誰の使用人でもないわけだけれども。メイド服を着ているときにはGUのワンピを着ているわたしとは見られ方が異なる。わたしはなるべくメイド界ぜんたいの品位を落としたくない。スカートは膝下に限る。

素足だと様にならないので黒か紺かオフホワイトのタイツを履く。特にオフホワイトは普段採用されない色だけあっていかにもメイド然としている。漫画やアニメのメイドもたいがいオフホワイトを履いている。

わたしはそういうステレオタイプのスタイルが好きだ。人はものごとに基準点を求める。想像上の「侍」や「探偵」にはある一定のイメージがついている。人はそこを基準点に話をし、また、そこを基準として発想を飛躍させようとする。銃を持った侍や、Tシャツの探偵など、基準点の存在なしには飛躍しえない。

「人々が思うようなメイドでありたい」といつしか考えるようになった。基準点となるメイドが現実に息づいていて、ふつうに生活をし、マーケットで買い物をし、税金の支払いをし、バスに乗りユニクロに行って下着を買う。アトレを求めて電車にのり無印良品で食器を買う。

どれもメイドならしそうなことだ。

実際にそういうメイドがいたら面白い。面白いことはすぐにやったほうがいい。まちなかにメイドがいたら二度三度振り向かれる。ご老人からはやや過剰に挨拶をされ、小学生からはメイドさんと声をかけられる。中学生や高校生にはやや注意が必要だけれど、同じ地域で生活していればそのうち皆んな慣れる。メイドがいる風景に慣れていく。

わたしはメイド服が好きだ。それと同時に、わたしが住まう地域の皆んなも、メイドが好きになってもらえればなと今日も思った。あなたもメイド好きになってもらえたら、ひとりの生活メイドとして大変うれしく思う。

言葉と音楽を愛する小さな獣たちへ なかよくしてください ふわふわのパンより