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ひどく脆いわたしたち

 男女って、どうしてこうも脆いのだろう。

 深夜、ふと思いつきで彼のSNSを探す。連絡しようとか、そういうのではない。ただ何となく、例の彼女との関係はどう精算したのだろうかと気になった。
 現在、彼は彼女とは別の女の子と遠距離恋愛中だ。今年に入って知り合った友達の友達らしい。毎日電話していると聞いた。
 私への連絡が途絶えたということは、今そっちが絶好調なんだろう。誰とでも踊れる彼が羨ましい。そして、今彼の文脈で踊っている彼女のことも。彼の文脈は下心が見えるのになぜか美しい。だからこれほどにまで囚われるんだろう。甘美な思い出に侵されて、どうしてもあれと同等の文脈を求めてしまう。
 あれだけの文脈を描けるのは、彼が行為だけを目的にしていないからだろうと想像する。求められたい気持ちもあるけれど、それ以前に彼は女の子たちにちゃんと恋をしている。立場が逆転した後はいざ知らず、追っているその時はちゃんと好きなのだ。

 今度は例の彼女のSNSのフォロー欄から彼を探そうとする。しかし見つからない。仕方ないので別の共通の友人の画面に移動する。見つかった。
 彼のプロフィール画面は、鍵が掛かっていて限られた情報しか表示されない。投稿数、フォロー数、フォロワー数、そして共通のフォロワー。それだけあれば十分だ。共通のフォロワー欄をタップする。リストに彼女のアカウントは無かった。
 彼女が友人と遊んでいる様子を上げたストーリーを(ああ、彼を忘れようとしているのかな、友達に愚痴を聞いてもらったり、慰めてもらってるのかな)と眺めていたけれど、そのときはまだ彼のフォローは外れていなかった。数週間前のことだ。
 それが今になって心境の変化。人間は面白い。直接の関わりあいがなくなっても、その人に対する感情は移り変わる。悲しみが怒りになったり、憤りが懐かしさになったりする。

 9月以降仲良くなって、3月に付き合い始めてすぐに遠距離。5月には関係が悪化して7月。彼女は私以上に長く、彼と関わってきた。楽しかったことも、疲れたことも、いろいろあっただろう。私には私の、彼女には彼女の、彼との文脈があり、それはお互いに不可侵だ。思い出はその所有者だけのもの。
 同じ人の、違う思い出を保持しているなんて、とても素敵なことだと思わないか。2つの記憶が合わされば、足りない部分を補填しあって彼という人間が2つの視点で語られることになる。

 それでも、たまに全部を壊したい衝動に駆られてしまう。どうせ続きやしない人間関係。味わい尽くしてから終わりにするのだって、無しではないでしょう? 脆いのは男女だけじゃない。私と彼女だって、もう友達と言える仲なのかすら怪しい。いや、それは最初からか。
 脆いのは、人間だ。

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