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子供のためのオランジュリー美術館(2)マティス②絵は描けない、でも彫刻は魔法のように/タヒチに行く前の苦悩

ぼくは何度なんどこうとおもったんだ。でもなんにもおもいつかない。
だけど、これだけはできるの、彫刻ちょうこくとデッサン。
魔法まほうみたいなんだ!  マチス

musée d’orangerie 



わたしはアンリエット
マチスののモデルをしているの

Le modèle Henriette Darricarrère, place Charles-Félix, Nice. Photo : Archives Henri Matisse / D. R. musée matisse nice


みんなは 
あかみどり黄色きいろくろ
マチスが すきらしいけど


きょうは これ わたしのかお、マチスがつくったの
てる?

そして
つぎにマチスがつくったのが これ

ああ わたし… どんどんふくらんで
おでこも ほっぺたも かみの

つやつやじゃない?
でもこれ マチスの実験じっけんなの

つぎは、おどろかないで!
マチスはわたしをないでつくったの

しぼんだわ…でも
かげが それにひかっているところも
はっきりになって。
マチスは、いまけないけど
これなら 自由自在じゆうじざいにわたしをつくることができる。


だから またいつか マチスは 
いていく元気げんきるとおもうわ。
きっと。


FEMME À LA VOILETTE
1927
New York, The Museum of Modern Art Collection
ベールをかぶった女 1927

ニューヨーク近代美術館蔵 オランジュリー美術館企画展のため借用

マティス、困難の中での最後の一枚
「私は何度もそれ(絵画)をやろうと思ったが、キャンバスの前では全く何も思いつかない。けれどデッサンや彫刻では、まるで魔法のようにうまくいくのです」
1926年冬にアンリエット・ダリカレールをモデルに描いたこの最後の絵は、1910年代の形式的研究への回帰、1927年のインスタレーション以来断念したキュビスムとの対話が描かれている。
詩人ルイ・アラゴンによって「この作品はモナリザと同じくらい痛ましい」と評されたこの作品は、1930年代初頭に画家を悩ませた危機を示している。

彼はこの時期、基本的に彫刻とデッサンに専念した。
この迷いの時期は、彼の作品が回顧され、その過激な初期作品が一般に公開されるようになった時期と重なる。(1926年、ポール・ギヨーム画廊は、1916年の「La Leçon de piano」や1909年から1917年の「Baigneuses à la rivière」といった歴史的な作品を特別展示。1929年、ジョルジュ・デュテュイによるフォーヴィスムの参考文献が「カイエ・ダール」誌に連載。1930年、ベルリン、パリ、バーゼル、ニューヨークで、初めての回顧展開催)

musée de l’Orangerie 

彫刻 ブロンズ
HENRIETTE Ⅰ ヘンリエッタⅠ

1925
Bronze, fonte à la cire perdue
HENRIETTE Il  ヘンリエッタⅡ
1927
HENRIETTE Ⅲ  ヘンリエッタⅢ
1929

「一人の人間の顔を見たときの最初の衝撃が、肖像画を描くときに私を常に導いてくれる主要な感覚なのです」(マティス) 1920年から1927年にかけて、アンリエット・ダリカレールはアンリ・マティスのためにポーズをとった。ニース時代のお気に入りのモデルであった彼女は、画家を刺激し、マティスは、彼女の運動能力の高い身体の表現、デッサン、オダリスクの絵画、彫刻を数多く制作した。1925年から1929年にかけて、マティスは彼女の肖像を3つの状態に分けて制作した。「Grosse tête」と呼ばれるシリーズの第2バージョンでは静的な性格、髪、頬、顎の丸みを帯びた対称的な顔が強調されている。

お読みいただきありがとうございました。
絵を描こうとしても何も思いつかなくなったマティス。この危機の時代、まるで魔法のように簡単にできる彫刻とデッサンに没頭します。
この苦悩の時代をどのように乗り越えるのでしょうか。
マティスおじさんのお話は続きます。

オランジュリー美術館発行子供のための冊子
ダウンロード可能↓
Livret d'activités pour les enfants pdf, 418.88 Ko

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