見出し画像

子供のためのオランジュリー美術館(3)みんなもモディリアーニの絵を買ってくれたまえ

「ポール、きみはぼくらの海の星だ/NOVO PILOTA!」 モディリアーニ


ようこそ ぼくの家へ
ぼくはポール るしごとをしている。

ぼくのともだち、モディリアーニは
なんともいい絵をかくんだ。


くろいスーツにハット、パリの最新さいしんファッションだ。

くびながめでかたはさんかく
つみきみたいだが あたらしいスタイルのだ。


このあかがいい

あつくぬったり ひっかいたり。
こんな絵をかくモディリアーニを世界せかい紹介しょうかいしたのは、ぼくなんだ。

みんなも一枚 かれの絵をってくれたまえ。

かならず 価値かちある一枚になる


AMEDEO MODIGLIANI
LIVOURNE (ITALIE) 1884 - PARIS 1920
Paul Guillaume. Novo Pilota 1915 
アメデオ・モディリアーニ
ポール・ギヨームの肖像 1915年

画廊のオーナーでありコレクターのポール・ギヨーム(1891-1934年)は、1914年、詩人マックス・ジャコブの紹介で、アメデオ・モディリアーニに出会った。翌年、彼はモディリアーニの最初の支援者の一人となった。
1915年から1916年にかけて、モディリアーニはパトロンである彼の肖像画を4点描いており、この時期の画商と画家の特別な関係がわかる。
当時まだ23歳だった若きポール・ギヨームは、手袋をはめ当時の最新ファッションに身を包み自信に満ちて鑑賞者をまっすぐに見つめている。そのシルエットは、赤い背景に際立ち、彼の顔と白いシャツがダークスーツや帽子と対照的に描かれている。輪郭のはっきりした顔が見る者の目を引くが左手はスケッチされているだけである。
「novo pilota」という文字が筆で絵に描かれているが、星に導かれる「新しい水先案内人」のように、1910年代当時すでに現代美術の先見性のある支援者だった若き画商に、モディリアーニは賛辞を送っている。

musée de l’orangerie et wikipedia 
 Museo del Novecento de Milan.

オランジュリー美術館発信ビデオ(24秒)ポール・ギヨーム

お読みいただきありがとうございました。
モディリアーニにが最も信頼した若きパトロン、ポール・ギヨームは、第一次大戦中もジョルジョ・デ・キリコの作品を取り上げたり、ドラン、ピカソ、マティス、キース・ファン・ドンゲンなども展示しました。まさにモダンアートの船乗りを導く星のような存在でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?