見出し画像

悪書と良書


 子供の教育や社会の健全に悪影響を与える小説や漫画やゲームやアニメやイラストは排除すべきといういわば「悪書思想」は、反対に引っくり返してしまえば評価の高い名作や高尚な芸術に沢山触れれば健全な人間が育つはずだという「良書思想」と表裏一体の関係にある。

 教育に悪い創作物があるなら当然教育に良い創作物もあるはずだ。悪書が悪影響を与えるならば、良書はきっと好影響を与えるだろう。悪書思想は頻繁に議論を呼ぶので目立つけれど、表裏一体である良書思想については余り注目されない。悪書思想には反射的に反発するのに、良書思想は殆んど無意識に受け入れてしまっている場合もあると思う。

  そして問題は、悪書が与える悪影響がしばしば過大評価されがちなのと同様に、良書が与える好影響もまた過大に尊重され過ぎるきらいがあることだ。良書が読者に著しい影響を与えるというのなら、それこそ名作や芸術に触れる機会の多い文学部の人間は賢明で聡明な人間であるはずである。まぁそんなことはないということを私は重々承知している。

 人間の人格形成は周囲の「環境」から大きな影響を受ける。それは間違いない事実である。そして創作物も私達の「環境」の一部を為しているのだから、創作物は全くの無害だ、というわけでないということもきちんと認めておかなくてはならない。

 けれど創作物なんて、あくまで「環境」のなかのごく一部にしか過ぎないのである。創作物よりも過大な影響を与える要素なんて幾らでもある。

 それこそ、子供に向かって親があれを読むなこれを読めと厳しく干渉してくる「環境」が与える悪影響なんて容易に想像が付くではないか。ちょっと過激で危ない漫画やアニメよりも、ごく身近な人間が醜く言い争う罵詈雑言のほうが余程に教育に悪いだろうし、どんなに健全な創作物ばかり読まされていたところで、学校や塾で仲良くなった友達が汚い言葉を使っていれば自然と言葉遣いが移ってしまうだろう。「環境」は複雑で変動的で確率的で、そんな簡単に人間が操作出来るようなものではない。

 「環境」を変えるのは難しい。だからこそ私達は、比較的自分達で操作しやすそうなもの、例えば食事とか、運動とか、そして読書とかに過度の期待をして、依存してしまっているだけなのかもしれない。

 でもたかが数冊の良書で劇的に変わるほどに人生というものは軟弱ではないのだ。なので、私達は普通に読みたい本を読めばいいと思うよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?