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追悼コーナー

 行き付けの書店に寄ったら大江健三郎の追悼コーナーが出来ていた。大江健三郎ぐらいの大家ならば追悼コーナーだって出来る。そんでこれに釣られた若者が『芽むしり仔撃ち』あたりに打ちのめされてくれるといいな……などと考えつつ、とある作家が亡くなった折りに、直ぐに追悼コーナーを設けてもらえるというはとても恵まれたことなのだとも思った。何故ならそれは、その著作がまだ世間に流通しているということを意味しているからだ。

 出版社品切れ重版未定。

 出版社の倉庫にもう在庫がなく、今後重版する予定もないという事実上の絶版状態を指す言葉がある。この状態になったらもう書店では流通しない……勿論古本や電子書籍など別の経路を通じては流通し続けるわけだけど……あんまり売れてない商品を重版したり在庫したりするのは出版社にとって負担でしかないので、大量に出版され続ける書籍のうちのかなりの数がそのまま出版社品切れ重版未定となり、流通の外側へと次々に追いやられていく。亡くなった作家の追悼コーナーを作ろうにも、その著作がどれもこれも品切れ重版未定になってしまっていたら棚を埋めるのに充分な数を集めることは出来ない。出版社が追悼を兼ねて重版を掛けてくれない限り書店には絶対に届かない。

 例えば大江健三郎や安部公房の作品は難解だし、そもそも難読だし、あんまり一般受けするような作家ではないだろうと思う。でもそれなりの規模の書店に行けば彼等の作品は新潮文庫のコーナーに概ね並んでいる。どんなに難読で難解であっても、大江健三郎や安部公房は書店で流通し続けるに足る価値があると認められているわけだ。私達はそういう歴史が磨き上げた遺産を引き継ぎ、また来るべき次の読者へと繋いでいくのだろう。

 そしてここで判断されている「価値」に作家の文壇的地位はさして関係がない。以前取り上げたように、多数の権威ある文学賞を獲得し、芥川賞選考委員を務める程に文壇的な成功を収めたはずの日野啓三の作品が……一応「殆んど」としておこう……もう書店では流通していないように。

 どんな作家だっていつかは亡くなる。そして彼等が追悼される場所に、その作家の作品がちゃんとある。一体どれだけの作家がそんな名誉を得られるだろう。この名誉だけは、幾つ権威ある文学賞を貰ったって、どんな偉いポストに就いて御意見番としてメディアに露出し続けたって手に入らない、本当に得難いものなのではないか?


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