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祖父母の家に行く
半年ぐらい前のこと、朝里樹『21世紀日本怪異ガイド』(星海社新書)という書籍を読んだ。文字通り21世紀以降に語られた怪異譚を100個収集したものである。21世紀の怪談文化のコンパクトな集成として興味深い書籍だったのだけど、怪異譚を100個集めると、どうしても「被っている」怪談が幾つもあるのに気付いてしまう。
例えば17番「ヨウコウ」と続く18番「オラガンさん」は、少年が田舎の祖父母の家に行く、山中で恐ろしい怪異に出会う、祖父母はその怪異について知識を持っていて対処を行う……しかもその対処に「塩と酒」を使うところまでが似通っている。勿論登場するのは全く異なる怪異だし、展開の細部も違っているのだけど、舞台設定が明らかに「被っている」のだ。
コラムでも解説されているように、ここで紹介された怪談の多くはネット上の匿名掲示板などで語られたものだ。ここではその匿名性を生かして、伝え聞いた実話として、或いは自身の実体験として怪談を語ることが出来る。作り話かもしれない、でも実話でないと安易に否定もしづらい「語り手」と「語り口」を獲得したのが、21世紀の怪談の特徴であったと考えることが出来よう。
すると、この如何にも尤もらしい怪談のリアリティを決定的に削いでしまうものがあるとすれば、それは実話や実体験にしては展開や舞台設定などが「被っている」ことに落ち着いてしまう。「ヨウコウ」も「オラガンさん」もそれ単体であれば尤もらしい怪談である。でもこれを二つ並べてしまうと、途端にどちらも造り物めいてしまう。まして本書はあくまで怪談の粗筋の紹介に留まるから「語り口」によるリアリティは保証されていない。
この世界の何処かには、きっとその土地に現れる怪異に詳しくてその対処法まで知っている「祖父母」がいるはずだ。けれどそんな祖父母が何度も「実話」としてあちこちに現れてはいけない。そんな祖父母はこんなにも沢山いてはならない。詰まる所、私達は「そんなことが何度も起きるはずがない」という疑いのうえに自分達のリアルを規定している。100の怪談があったなら、祖父母の家に行くのは一つか二つもあればいい。
そう、だから、私の祖父の昔話については、寝室で孫に狐火の昔話を始める祖父というものがどれだけ世界で反復されているかによってその実在性が測られるだろう。しかもそんな反復をどれだけ受容しているかは読者の遍歴によって違うのである……
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