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用水路に落ちて死ぬ


 用水路に落ちたら死ぬ。側溝に流されたら死ぬ。

 私の地元はそれなりに豪雪地帯なので、雪掻きをしなければならない。掻いた雪は何処に捨てるのか。用水路とか側溝とかである。当然冬場なので用水路や側溝を流れてる水は極めて冷たい。水分を多く含む重たい雪を放り込まれ続けるので流れも非常に速い。

 ただでさえ地面が凍って滑りやすく、積雪で用水路や側溝の位置が隠れやすい土地である。大きい用水路となるとコンクリートの蓋がされて、雪を捨てる場所だけが開くようになっている場合も多い。そして誤って用水路や側溝に落下してしまったら、その強烈な流れの速さに抗うことも出来ぬまま押し流され、瞬く間に凍死してしまうことだろう。ずっと下流まで流されてしまえば遺体の発見さえも遅れてしまうから、それまでは行方不明扱いである。

 だから私の地元では、冬場に地域のニュースで流れる死亡事故といえば、屋根雪を掻いてたら屋根から落っこちた、餅を喉に詰まらせた、そして用水路や側溝に滑落したの三つが定番みたいなものだった。私達の街には、多分、雪の降らない土地では想像の付かない「死」が平然とあった。そして私達はその「死」を当たり前に思いながら、用水路や側溝にがんがん掻いた雪を放り込んで行くのだ。

 その土地には、その土地の死に方がある。その土地にしかない恐怖と、それを当たり前に受容する諦念がある。スキー場でリフトの柱に激突して大怪我、なんてものが割合身近に感じられてしまう土地は、まぁそれなりに限られるだろうと思う。私なんてスキーが下手過ぎてコースから外れて林に転がり落ちたことがあるし。スキーが苦手な運動音痴だったから、スキー場は本当に命懸けの場所だった。

 随分前に草津温泉を訪れたとき、無料の公共浴場で一緒になった地元の方とちょっとお話をした。その住人によれば、お酒を飲んだ地元のおじさんが酔っ払ったまま共同浴場の熱湯に浸かって、ぽっくりと亡くなってしまうというケースというのがあるのだそうだ。ああ、もしかしたら、私が浸かってる……といってもお湯が熱くて全然浸かれてないのだけど……この湯船でいつか誰かが心臓発作でも起こして亡くなったことがあるのかも知れない。草津温泉には草津温泉に特有の死に方があり、そしてこの土地の住人達はそれを普通に受け入れてこの高温の湯船に浸かっている。

 そういう特有の「死」と、その恐怖や受容を私達は何処まで創作出来るだろう?

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