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黒ギャル堕ち


 連載再開に伴う無料公開で初めて『宝石の国』に触れた新規読者達の間で、カンゴームの変貌っぷりが「主人公の相棒ポジだったキャラがイケメンのおじ様に靡いて黒ギャルになってしまった」と話題になっているのを見掛けた。

 黒ギャル……そうか、そんな読み方があるのか! と私は驚いてしまった。だって私は全く別の解釈をしていたから。

 この物語の宝石達は、みんな顔に白粉を塗って、お揃いの制服を着て、規律に従って生活している。宝石達はみんは個性豊かだし、その自主性も大いに許されているけど、同時にまさに学校のような空間で「画一化」されてもいる。

 そしてここから離反して月人の国に移住した宝石達は、まさにこの「画一化」を離れた生活を始める。なかでも最も劇的に変貌したのがカンゴームだ。白粉を取り、自由な服装をして、月人の王子エクメアと結婚までしてしまう。宝石達は性別のない存在であり、どちらかといえば男性寄りに振る舞っていたけれど、カンゴームは「自分自身の地肌の色を晒して」「女性的に振る舞い」だしたのだ。

 これは黒人女性だ、と私は戦慄した。

 画一化された「白人男性」の世界から飛び出し、自分の地肌の色と、自分の女性的な側面を遺憾なく晒け出したブラック・ビューティー。宝石達の国が抱えていた見えない抑圧から解放された、強くて逞しい女の子。勿論対等な立場とはいえ彼女の新しい庇護者もまた白人男性というあたりも見逃せない。これは美しい融和なのか、或いは新たな隷属なのか……この強烈な存在は、それまで被害者視点の側であったはずの宝石達の国を外側から相対化し、その後の宝石達同士の悲惨な対立……例えばダイヤモンドとボルツの戦い……に一層と説得力を与えている。

 私だってカンゴームの黒ギャル墜ちで盛り上がってる人達の楽しそうな雰囲気は理解出来るのだ。読者の自由な創造性は確かに想像力豊かで愉快だ。けれど黒ギャル墜ちという俗っぽい読み方は……「地肌を晒す」という側面が決定的に損なわれているが故に……どうしても『宝石の国』という作品の価値を歪めてしまう可能性がある。

 どんな作品も読者が自由な解釈で読めばいいのだという理想は、私達一般読者のうちでは大いに構わないが、批評や学問の理想であるとまで敷衍してしまうと危うい。「黒人女性としてのカンゴーム」より「黒ギャル墜ちしたカンゴーム」のほうが「愉快」だから、私達は批評家の言葉よりも後者を選んでしまう。

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