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人面犬のいる街


 川口には人間がいない。

 人間がいないなら、この街にいるのは妖怪だ。

 閑静な住宅街というのは、人口的には非常に密になっているはずなのに、道路を歩いている限りではあんまり人間と遭遇しない。車通りもそんなに多くない。夜も更けるといよいよ街は静かになり、夜中に喧騒があるとすればその大抵は静けさにやたら良く通る外国語ばかりである。

 私のアパートがある住宅街は道路がわりと複雑に折れ曲がっていて見通しが悪い。絶対に踏み入れることがないであろう路地が幾つもある。その路地から飛び出してくるのは何だろう。速度超過の自動車や自転車だろうか。犬の散歩をするお爺さんだろうか。ギニャーと叫びながら喧嘩してる野良猫達であろうか。いや、私には、こういう得体の知れない路地から飛び出してくる最も相応しい存在は、きっと人面犬であろうと思った。この街には死角が多過ぎるのだ。人間の視界の埒外にある死角に住むのは、人面犬とか口裂け女とか、そういう都市伝説的なものであろう。

 私の地元は田圃だらけで景色に死角がない。見通せないものと言えば山林であるが、山林から現れるのは熊とか猪とかであって、怪物でも化物でもない。私は熊に怯えながら夜道を下校したことはあるけど、妖怪に怯えながら下校したことはなかった。しかし川口では、疲労で意識が曖昧な頃合いともなれば住宅街を突っ切る夜道は極めて不気味で得体が知れなかった。不審者や通り魔が隠れていても可笑しくなかった。不審者の背後を人面犬が追い掛けていて、不審者が不審な行為を行おうとした瞬間に背後でくうーんと笑ったとしても、私はそんな光景を否定出来ない。

 これこそが私が川口文学に見出だしたほぼ唯一の可能性だった。川口の夜道なら何が現れても可笑しくなかった。人間の物語は存在しないが、人間以外の物語はそこら中の路地裏に隠れているはずだった。ただ今度は私の実力が足りなくて、人間のいない、人間でないもののほうが多い埼玉県川口市の住宅街のイメージをしっかり捕まえて物語にすることが出来なかった。結局私は川口の文学なんか諦めて、『Dummy』以降の中短編集では「私達の街」というテーマを実践することになった。

 その試みの残骸が、断片集『Nightswimming』という形で一応は纏められている。私が迷走していた時代を象徴する一冊ではあるのだけど、ここで私が掴もうとしたものがちょっとでも今後に活きていたらなぁ……

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