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“推し”という重力(『推し、燃ゆ』感想)

私はオタクですが、推しを持ったことはありません。ジャンル全体や作品そのものにはまる性質が強いためです。
けれどタイ沼に出会って変化がありました。作品だけでなく俳優さん自身にも興味を引かれ、そちらにも時間を費やしています。

そんな今だからこそ、この作品が理解できるのではと思いました。

……この小説は、やはり“推し”がいる人にこそ届く作品だと思います。

自分を生かすもの

推しが炎上するって、一体どんなセンセーショナルな事件が起こったのだろう? そう思ってページを開くと、1行目から容赦なく推しは炎上しています。炎上から始まる物語です。すぐに、推しの炎上事件そのものを描くのではないのだとわかります。

私は心を動かされるとすぐ涙が出てくる涙腺が弱いタイプですが、この小説ほど、心を動かす正体がわからないまま泣けて泣けて仕方がなかった経験はなかったと思います。主人公・あかりちゃんの生きづらさが明確になる中盤以降、ずっと涙が止まりませんでした。

細部までリアリティのある推し活描写や、推しへ向ける感情の的確さ繊細さ。それらが生々しく迫力のある筆致で描かれ、山下あかりという人物が際立ちます。
ドキュメンタリー番組を見るような、と言ったらよいでしょうか。あかりちゃんがまるで実体を持ってそこにいるかのようで、だからこそ彼女から噴出する生きづらさが、いやまして苦しい。

……だから敢えて言うならば、ただただ生きるのが苦しいことそれ自体への涙だったのだと思います。
ギリギリの淵にいて苦しくて苦しくて生きていけない……こんな状態で推しに何かあったら絶対に無理だ……ひたすらそう思いながら読みました。

でも、最後。本当に最後の1ページで、それでも頑張って生きてほしいと思ってしまったんです。
苦しさで嗚咽は止まらないし、当事者ではない無責任な発言だとも思うけれど、苦しみながらでも生きるしかないのだ、と。
背骨を抜かれて這うしかなくて、でもその姿勢をあかりちゃん自身が受け入れようとしていたから。彼女のその気持ちに無責任に縋って、頑張って生きて、と言いたい。

多かれ少なかれ誰にでも、生きづらいと感じたり、欠落を意識する瞬間があるのだろうと思います。
普段は見ない振りをしているそれらを突き付けられるような、それでも、あかりちゃんよりはマシだと思ってしまう後ろ暗い安心感のような、慰められるような、救われるような。
……そんな、自らの心の淵を覗かされる読書体験でもありました。

推しを推すこと

推しを推す感情の特異さも、とても精緻に表現されていたと思います。この一年で私が目にして感じてきた感情が、どのページにも溢れるように書かれていました。

どんなときでも推しはかわいい。甘めな感じのフリルとかリボンとかピンク色とか、そういうものに対するかわいい、とは違う。(中略)守ってあげたくなる、切なくなるような「かわいい」は最強で、推しがこれから何をしてどうなっても消えることはないだろうと思う。

電子書籍版 65%位置

そして、特に秀逸だと感じたのがラストライブのシーンです。
あかりちゃんにとって本当に生きるか死ぬかのギリギリの描写の中に、こんな言葉が出てきます。

終わるのだ、と思う。こんなにもかわいくて凄まじくて愛おしいのに、終わる。

電子書籍版 87%位置

この一文を読んだ瞬間、声を上げて笑いながら泣きました。本当に笑いと涙が同時に込み上げてきて自分でも驚きました。
「推しを推す」感情の滑稽さ、愛おしさ。推しがすべてであるギリギリの生に対する苦しさ、つらさ。あかりちゃんの姿がひたむきで必死でかわいくて、同時にとてもとてもとてもつらい。

現代の人間関係

“推し”に縁がない人や、リアルでのつながりを大事にする人が読んだなら、理解できない部分も多々あるでしょう。
推しにすべてを依存して勝手に“解釈”し続けることは、滑稽に見えるだろうということもわかります。

でも、あかりちゃん自身だって、そんなことは百も承知なんですよね。推しの人生に、自分が何ら影響を及ぼさないことは。
推しにはファンを殴って結婚して引退するに至る人生があったわけですが、彼をどれだけ解釈し続けても、あかりちゃんにその真実がわかることは絶対に永遠にありえません。そういう関係性です。

でも一方的だったとしても、彼を解釈して理解しようとすることは間違いではない、少なくとも作中では否定されていない。
それが彼女の背骨で、それに生かされていたのだから、悪いものだとは到底言えるわけがないのだと思います。

本書は、これも一つの人間関係なのだ、と提示し受容していると感じました。その優しさにホッと救われる気持ちがしました。


★2021年3月読了

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