ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳、「新しい古文書学者(『知の考古学』)」について①--古文書学者

『フーコー』はとある古文書学者の物語から始まる。

この古文書学者には、方針がある。

しかし、かれはさまざまにレッテル貼りされてきた。それに反し、新しいものが哲学のなかに生まれていると判断する者もいる。

彼〔=古文書学者〕はじぶんの方針にしたがってふるまっているだけではないだろうか。彼は一つのテクノロジーの代弁者、構造主義的なテクノクラートの新しい代弁者である、と憎しみをこめて言うものがある。〔…〕これとは逆に、何か新しいもの、根本的に新しいものが哲学のなかに生まれ〔…〕

ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳、河出文庫、13頁。

古文書学者は賛否両論の渦中にいる。

筆者は、偉大な思想家なら誰もが直面する毀誉褒貶に立ち会っていると感じる。今後はどうなるのだろうか。

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