アリストテレス『ニコマコス倫理学』高田三郎訳、第一巻第一章1094aについて①

本記事はギリシア語の原文(例えば、I. Bywater の校訂本)を参照したものではない。

つまり、文庫の邦訳を読んだ個人の理解にすぎない。本記事は『ニコマコス倫理学』を紹介する趣旨のため、ご容赦願いたい。

アリストテレスはあらゆる実践が善を希求していると主張する。

いかなる技術、いかなる研究も、同じくまた、いかなる実践や選択も、ことごとく何らかの善(アガトン)を希求していると考えられる。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』1094a

かれの評価では、それゆえ万物が善を希求するという、先行する解明が見事だと言われる。

「善」をもって「万物の希求するところ」となした解明の見事だといえる所以である。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』1094a

アリストテレスはこうして、実践の条件を示している。
善を希求することについての分析は、続く部分に譲ろう。

※タイトルや出典で1094aとかいう訳のわからない符号が出てくるが、引用箇所を示すために一般的に使われる符号である(『ニコマコス倫理学』高田三郎訳、岩波文庫4ページを参照)。行数を示していないため、専門家の目から見たら噴飯ものだが、人文学に縁のない人間から見れば気にしなくていいものである。文庫を開けば、説明可能なので。
※ギリシア古典の専門家のみなさまへ。間違いがあれば、どうぞご指摘ください。ただし、筆者は古典ギリシア語に明るくないため、行数の加筆はできません。あらかじめご容赦ください。

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