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自由人な祖父へ

こんにちは。fleurs de voyageのlouis(ルイ)です。

先日、本屋さんへ行き、「80代で見つけた生きる幸せ」という本を見つけて、購入しました。
短気なおじいちゃんで、仕事も上手くいかなく、年金も少なく、病気にもなり、心配した娘さんが、ミシン修理を頼んだきっかけから、ミシンにハマり、今や売れっ子手芸販売をされている、おじいちゃんのお話。
とても感動したり、時に笑えたり、とてもおすすめな本です。

この本を読んで、私の祖父のことを思い出しました。
私の祖父母は、母方、父方共に亡くなっていますが、とても個性的な祖父母でした。
本日は、敬老の日でもあるので、母方の祖父の話をします。

祖父は若い頃、バーのボーイさんをされていたことがあったそうです。
今と違い、海外のお酒が沢山ある空間は、中々なかった。お店で働いている特権として、カクテルなど沢山飲めたそうです。
それで、色々なお酒を飲んだそうです。それはそれはよかったのですが、飲み過ぎて血を吐くようになり、それから1滴もお酒を飲まなくなりました。然し、その当時飲んだお酒のボトルが、リビングに飾っていました。それを見るのが、子供ながら好きでした。とてもおしゃれで。
具体的には説明はしずらいし、写真でも残しておけばよかったのですが、、

祖父は、短気な性格で、人と喧嘩をしたり、時に怒鳴ったりした人でしたが、私は孫ですし、私にはとても優しかったです。
祖母は、祖父の相手をするのは大変だったようです。祖母は、祖父の真逆な性格で、とても社交的。自宅の真向かいに、小さな畑があり、そこにとうもろこし、きゅうり、トマト、なすなど育ててました。それをどういうきっかけでそうなるのかわからないのですが、たまたま畑の近くを通った子供たちに、とうもろこしなどあげていたそうで。それで後日、その子供とその親が祖父母の家に来て、お礼の挨拶をしにくるのが、日常でした。
私は子供ながら、「あの人誰?」と聞いてはいけないような気がして、ただただ見知らぬ方の話を、黙って聞いているのですが、帰った後、祖母に「あの人誰?」と聞いてました。そうすると、出会った理由は、ほぼ畑の近くで出会ったようで、とにかく毎日のように知らない人が来ていました。
祖母が亡くなり、暫く経ったある時、叔母が「全然人が家に来なくなったよ〜」と言ってました。祖父は、社交的ではなかったし。新聞配達員とも、言い合いになるぐらいですし(笑)

祖父は働きものでした。いつもバイクに乗って、建築現場の留守番の仕事をしていたのかな?時には資材を運んだり。年金暮らしでしたが、仕事もしていたので、結構裕福に暮らしをしていたようです。

ある時、祖母は癌になり入院しました。祖母は退院出来ると信じていたのですが、退院出来なく、それがかなりショックだったようで、別人のようにわがままになりました。今まで我慢したことを、爆発したような感じでした。
腎臓癌で確か。かなり苦しみ、最後はモルヒネを打ち、痛みを緩和していました。然しモルヒネもだんだん効かなくなり、可愛そうでしたね。
それで、結局亡くなりました。ところが、祖父が相当ショックだったようで、「火葬場には行かない!」と言い出しました。叔父は呆れて、「喪主が行かなくてどうするんだ!?」って言ってましたが、頑固な祖父が話を聞く訳もなく、、祖父は不参加でした。

火葬すると、お骨が黒くなる箇所は、その方の悪かった場所だと聞いたことがあり、足が悪かった祖母だったので、足のお骨を見たかったのです。
実際はどのくらい悪かったのか?知りたかったと言いますか。。。

そしたら、その逆で、頭蓋骨がどこも崩れてない状態で置かれてました。
火葬場の職員さんから、説明がありました。
「今まで沢山の方々の火葬をさせて頂きました。ですが、こんなに綺麗なお骨の方は中々いません。勿論火葬の仕方は、皆さん同じです。恐らく、良い行いをされていた方だったのでは、ないでしょうか?」と言われました。

帰宅して、祖父に、火葬場の人の話をしました。そしたら「そうかそうか」とニコニコしながら聞いていて。なら行けばよかったのに、、って心の中で思っていましたが、口に出すのは止めました(笑)

祖母が亡くなって、祖父は暫くは無気力になり、仕事も行かなくなりました。
とにかく「あんないい婆さんはいない」が口癖で。もう、しつこい!って感じるぐらい言ってました。暫くして、だんだん心配にもなりました。大丈夫かな?って。
然し、3ヶ月以上経ってからかな?「男やもめにウジが沸く」っていう言葉がって、このまま何もしなくなったら、いけないんだよ。って言い出してから、なんだかすごく変わりました。仕事も復帰し、パンツの裾上げは自分でしてました。バイアステープが便利だ〜が口癖で。(笑)とにかく、せっかちな性格は変わらないので、買い物してすぐ裾上げしていました。

ある日、「ルイ、ハーモニカの先生知らない?」と言われました。
どうやらハーモニカを習いたいそうで。ですが、ハーモニカの先生なんている?って感じで、知らないよ、、と答えました。そっか、、って言ってたんですね。
ところが、独学で初めたようで、ある日演奏してくれたんです。
そしたら、信じられないぐらい上手で。ジャズを吹いてました。即興演奏なので、いつまでも弾けてしまうから、もういいって言われるまで、ずっと吹いてました(笑)
そしたら、だんだん楽しくなったようで、デパートでも演奏することになり、演奏を聴いて頂いた子供たちから、「また演奏して」と言われたそうで、嬉しそうでした。

そんな祖父も、肺がんで亡くなりました。
朝、仕事に持っていくお弁当を、従姉妹が届けに行ったら、うめき声が聞こえてきたそう。ところが、部屋の鍵が全部しまっていて、開かないので、窓ガラスの1部を割って、部屋に入り、急いで救急車を呼んだそう。
その時点で、余命1週間でした。肺が半分癌でした。それで何故ハーモニカを吹けていたのか?いまだに謎ですが。

「肺がんは、がんの中でもかなり苦しむので、覚悟して下さい」と、医師に言われました。ところが、祖父はすごく元気そうで。仕事も行くつもりだったらしく、バイクふかしといて!とか金魚に餌をやっといてとか、色々頼んでました。
それで、医師も不思議がり。本来はとっくに亡くなっても、おかしくないんですと言われ、調べたそう。
そしたら、酸素を吸って二酸化炭素を出すことを、私たちは普通にしてますが、それが出来なくなっていて、軽い一酸化中毒症状だったそう。そのお陰で、痛みを感じる神経が麻痺をしていて、痛みを感じなかったそうです。ですが、その原因で癌が進行した訳でもないとのこと。
本当に、余命1週間で亡くなり、本人が一番びっくりしたのでは?と思っています。

祖父が亡くなってから、遺品整理をしました。そこで、引き取りたいものを、それぞれ申告しました。私はカルバンクラインの香水を引き取りました。少し減っていたので、どうやら、カルバンクラインの香水を使っていたようです。
月に数回、映画を観に行く生活をしていたので、その時に香水をつけていたようで。香水なんて使ってたのか!?と思ってました。

それから暫く経ち、祖父は彼女がいたことが判明しました!
え〜だから香水使っていたの?あんなにあんないい婆さんはいない!って言ってたのに!(笑)

祖父の棺に、色々入れました。私はハーモニカを入れたかったんです。
ところが、まったく見つからなく。。叔父が、「ルイちゃん、きっとおじいさんは、誰かにハーモニカをあげちゃったんだよ〜色々な人にあげてたし」
確かに、ハーモニカをプレゼントしていたのは、知ってました。然し、楽器を演奏している私からすると、1番気に入っている楽器は、絶対にプレゼントをしないはずです。宮田バンドと言って、昔で活躍していた、ハーモニカの団体がいたそうで、そこのハーモニカを使用していました。そのハーモニカでもとても良いものを使用していたんです。あれを誰かにプレゼントするのは、考えずらいと思ってましたが、時間もないし、諦めました。
その頃、透視能力が高かった友人に話たら、「魂と一緒に持っていったんだよ」って言ってました。私もそうだと思っています。

祖父は、人生を楽しむ姿を見せてくれたと思っています。

もう会うことは出来ませんが、ありがとうとメッセージを送りたいと思っています。

皆さん良き敬老の日を、お過ごし下さいね!

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