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産休26日目

盛り付けはあれだけど鮭のムニエルが過去最高の出来。
オクラと生トマトのコンソメスープ、こんなもの私が作っていると母が知ったらひっくり返るわ。

前回の記事の自助力と言うワードから、子供の将来について考える。

以前、まだコロナといえば暖房器具メーカーだった頃に、旦那実家で義姉夫婦と子どもが大きくなったら学校はどうとか、仕事はどうとか、と言う話をしていた事があった。
私たちの息子と、義姉夫婦の息子は歳が同じ。ついでに言うなら2人目も同じになる予定。

そんな中、通りかかった義父がぽつりと言った。
「まあ、子供なんて、そうそう親の理想通りには育たんよ。」と。

昔ながらの男として、両親の面倒を見切った義父としては、長男家族の我々には是非地元に戻って自分たちと一緒に暮らして欲しかったんだろう。
だけどそんな親の気持ちは梅雨知らず、息子は東京に家を買ってしまって、でも子供の人生は子供のものだから、と表面上は一切責めてこない彼の、切ない内面が垣間見得たこの発言に、長男嫁の私はでもねお義父さん、と、思った。(口には出さなかったけど。)

中途半端な学をつけてしまった者ほど、地元には残りづらい。私たち夫婦は本当に中途半端に学をつけて、大学受験を機に東京に出て、そのまま選択肢豊富な東京で就職し、地元に戻ると言う選択肢が遠のいたタイプだ。
今更地元ですんなり今の給料を得られるとも思えない。

私たちよりも遥かに前の世代の大人が、なんでも東京に集中させてしまったから。いけない、というのは何か違うけど。
今、コロナ禍で変質が始まろうとしているのかもしれないけれど、そこにいち早く乗っかる事ができるほど最早身軽でもない。

そんな風に東京にのまれていく息子の後ろ姿に、あなたは一度でも声をかけただろうか?

自分を見て成長してきた息子なら、たとえ大学でちょっと東京に出ようとも、地元の違う女を嫁に選ぼうとも、就職を機に戻って来て自分と同じように長男として親の面倒を見てくれる筈だと、時代の流れを見ずにタカを括っていやしなかっただろうか?

あなたが自分で言ったように、子どもの人生は子どもの物なのだ。
一度地元を離れてしまったものにとって、その事実は昭和の頃のそれよりもずっとそうなのだ。
昭和の自分と同じようにして欲しかったのであれば、自分はそう言う希望を持っているがお前はどうか、と話さなければいけなかった。
(てゆーか今からでも遅くないからちゃんと旦那と話してくれないかなー、将来のこと。)

ちょっと本来の話題にしたいところからズレてきた。自助力、自助力なんだってばー。

また明日に続こうかな。


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