見出し画像

ごはんを食べたり酒を飲んだり、人生について語ったりすること

 とにかく飲食店が好きだ。

 カフェや喫茶店もいいけど、筋金入りの酒飲みなので酒が出る店だとなお嬉しい。カウンターがメインの飲み屋だったりすると、常連が集まってちょっとした地域のハブというか、溜まり場のような空間になっていることもある。そういうのも入っていくとけっこう楽しい。
 年季の入った町中華とか蕎麦屋みたいな店も良い。年数がすべてでは決してないけれど、新しい店にしろ旧い店にしろ、その土地と密着していればしているほど飲食店は面白いんじゃないかと個人的には思う。地元の人に愛されている店は良い店だ。それだけで、食べログの評価だってどうでもよくなってしまうような価値があるような気がする。
 人々がごはんを食べて(もしかすると酒を飲んで)思い思いにしゃべっている空間というのはどうしてあんなにあったかくて面白いんだろう。私にとっては飲食店に行くことは「美味しいものを食べる」ということだけを目的としているのではなくて、その「場」とか「空間」をまるごと味わい尽くしに行くことなのだ。

 全国四方八方を巡りまくって行脚する、とにかく数をこなす、というよりは一度気に入ったところにしつこく通いたがるタイプなので、いわゆるグルメの人に比べると知っている店はそんなに多くはないと思う。「この近くの美味しい店知ってる?」と訊かれて候補が次々に出てくる、みたいなことはない。それでもやっぱり、「好きな店は?」と訊かれて頭に浮かぶ場所はそれなりにいっぱいある。
 そういう中でそれはもうぶっちぎりに、世界で一番好きな店というのがある。誇張でもなんでもなくて、本当にこの世界中で私が最も好きな飲食店だ。
「世界で一番美味しい」かと訊かれると正直自信を持ってウンとは言いがたい。いや違うんだよ、美味しいよ、マジで。めちゃくちゃ美味しいよ。連れて行った友達もみんな美味しいって言ってたよ。でも出してるのは家庭料理ないしはアレンジ家庭料理って感じだし、じゃあミシュラン載るか?みたいな話じゃないわけよ。
 でもさ、たとえば、たとえばね。めちゃくちゃ大好きな恋人がいる人がいるとするじゃん?その人に「あなたの恋人は世界で一番の美男/美女だと思いますか?」って聞いたとして、必ずしも「はい」と答えるわけじゃないじゃん、多分。でもその人にとっては世界で一番大好きな、かけがえのない人なわけよ。そういう感じなのよ。わかります?

 途中からなんの話をしてるのかよくわからなくなってしまったけれど、とにかくここでは私が世界で一番好きな飲食店の話をする。
 東京都内某所、私の現在の実家から程近い場所にあるその店は今年で19周年を迎えた。私が初めてその店を訪れたのは約6年前の夏か秋のことで、私はまだハタチにもならない大学生だった。当時私は一家でその街に引っ越したばかりで、くだんの店には友達に連れて行ってもらったのが最初だった。
 あんまり立派とは言いがたい小さな雑居ビルの、がこんと音が鳴る古いエレベーターで3階へ。あたたかみのあるカントリー調の内装、あちこちの棚に本や絵本が立てかけられていて、音楽はいつもちょっと懐かしいサブカル系の邦楽。空間づくりへの確かなこだわりがあるのに、気取りすぎてもいない安心感がある。メニューは半分くらいは日替わり。家庭料理と言うには個性的で、創作料理と言うには素朴で、でも何を頼んでも外れなしにおいしい。そういう店だ。
 初めて行った日のことを、実はそんなにはっきりとは覚えていない。友達とひととおり食事をしたあとにもうちょっと話したいね、とその店に行って、チーズケーキを食べてコーヒーを飲んだような気がする。
 その夜も確か、びっくりするくらいフレンドリーでおしゃべりなお兄さんがいた。彼は店の名物店員で、オーナー夫婦の夫さんのほうだ。彼のことを語らずして、その店のことは語れない。仮にOさんとしよう。
 Oさんとは6年のあいだ、折に触れていろんな話をしたような気がするけれど、細かいことはこれもまた正直覚えていない。思い出せるのは、「えこひいき」の話だ。
「店員ではあるけど人間だから、特別好きなお客さんにはひいきしたくなっちゃう。でも、ひいきしてることを気付かれないようにしなきゃダメなんです」
 そういう話だった。大学生の私は当時ずっと飲食店バイトばかりしていたので、なるほどな、と思った。そして私もひいきしてもらっているうちの一人らしい。やったね。考えてみれば飲食・接客業の苦労、みたいな話をちょくちょくしたような気がする。

 その店のカレーライスが好きだ。ランチタイムに食べられる、スパイスのきいたチキンカレーはけっこう癖が強いけれどハマると何度も食べたくなってしまう。就職活動をしていたころ全然なんにもうまくいかなくて、本当に苦しくて仕方がなかったとき、泣きながらカレーを食べていたこともあった。このカレーを頼むといつも「味噌汁はお付けしますか?」と訊いてくれる。この味噌汁が本当においしい。私はあんまり繊細な舌をしていないので出汁が何なのかとかそういうのは全然わからないんだけれど、とにかく味噌汁が本当においしい。「おつかれさま、今日も頑張ったね」と言ってくれているみたいな優しい味がする。疲れたときに飲むといつもちょっと泣きそうになってしまう、今でも。悲しいときも調子が悪いときも、無理して取り繕おうとしなくていいと思えて、カレーと味噌汁を食べるとちょっと元気になる。そういう店だ。

 そのあと紆余曲折あったけれど、私はIT関連の会社に就職した。さらにそれからしばらくして、一人暮らしをしようと思い立ってその街を出ることになり、Oさんにも「◯◯市に引っ越すんです」という話をした。彼は「好きなように生きたらいい」と言ってくれた。そのとき彼が私にしてくれた話を、何度も思い出している。
「麦子さんは絶対いつか、麦子さんを必要としてる誰かに出会うと思います。それは恋愛とか結婚ということではなくて、僕が今この店のデザイナー兼店員をしているのと同じように、麦子さんの良いところを本当に生かせるようなぴったりはまる場所が必ず見つかると思う」
 細かい文言は異なるけれど、だいたいこのような内容のことを言われた。それがあんまりにも力強い確信に満ちていたから、
「そんなに私、人生に迷ってるように見えますか」
 って訊いてしまった。そしたらOさんは首を振って
「ううん、そうじゃないよ。でも絶対、そういう出会いがあると思う。僕は麦子さんは、何か面白いことをやる人なんじゃないかって思ってるから」
 と、これもまた自信満々に言った。ただの近所の常連客の私の何を見て、彼がそう言ったのかわからない。でもそう言われたら本当にそうなるような、きっといつか私は何かとびきり面白いことができるんじゃないかっていう気がした。何ができるかはまだ全然わからない。

 今、実は転職活動をしている。今の会社に入ったのは正直なりゆきだった。そのときのわたしは疲弊していて自信がなくて特別やりたいこともなくて、でもとにかく仕事に就かなきゃいけなくて崖っぷちぎりぎりだった。そんなときにたまたま舞い込んだチャンスだった。これを掴まないともう後がないと思ったし、そのためならなんでもやろうと思った。
 でも今の私だったら、追い込まれてイエスかノーか選ぶだけじゃなくて、自分の意志でやりたいことを選べるような気がする。別に明確な根拠はないんだけど、そんな気がしている。わからないけど、Oさんが言っていたような「出会い」があるとしたら、それはきっともうすぐなんじゃないかって気がしている。
 転職が決まって、私がちゃんと心底これがやりたいって思えるような仕事が見つかったら、Oさんに報告しに行こうと思う。あったかいごはんを食べてビールを飲んで、これからの人生の話をしよう。

 本当は教えたくないけど、ここまで書いたからお店のリンクも貼っておくね。