「伊藤詩織さん、パリですべてを語る」ELLEの感想まとめ
部屋を整理していたら、ファッション雑誌「ELLE」の2018年4月号が出てきました。ジャーナリストの伊藤詩織さんのインタビュー記事が出ているとのことで購入したものです。
内容はとてもよいもので、ずっと取っておきたいなと思って捨てずにいましたが、いい加減買いためたものを処分する必要に駆られてきたので、この記事で思ったことを書き綴ったら、思い切って断捨離しようかと思います。
インタビュー記事は下記のリンクから全文読むことが出来ます。
問題を知ってもらうために伊藤詩織さんが始めたこと
2017年5月、伊藤詩織さんは自ら司法記者クラブで記者会見を行いました。元TBSテレビ記者からの性的暴行被害と不起訴判断についての検察審査会への申し立てをするためです。
同月18日には手記「Blacl Box」を刊行し、10月には東京・日本外国特派員協会で記者会見するなど、この問題を広く知ってもらうために精力的に動いていました。
伊藤詩織さんが訴えたかったこととゴシップのような報道の食い違い
なぜ彼女が実名を出し、この問題を広く知らしめようとしたのか。
それについて、彼女はインタビューでこう語っています。
そんなことはしたくありませんでしたが、ここで私がやらなければ、私の妹や親友や、大切な人々にだって同じことが起こりうる。次の犠牲者を生んでしまうと思ったのです。
伊藤詩織さんは、日本のレイプ被害に対して支援が十分でないことや、司法制度の問題、警察の捜査システムの問題を自身の体験を通して知り、それを変えたいというのが会見の趣旨でした。
しかし、会見後の報道やネットの書き込みは(全部が全部ではないでしょうが)芳しいものではなかったようです。
会見はゴシップにように報道されました。私と家族の情報はまたたくまに晒されて、嫌がらせや脅しのメールが殺到しました。公表を反対していた家族とは、しばらく連絡を取れませんでした。
私は未来のために法律や制度の問題を訴えたかったのに、山口氏とレイプのことばかり先行してしまいました。ネットではさまざまなことが書かれ、家族や友人にまで危害が加わったらどうしようという恐怖から、外へ出ることもできなくなり、どう生きて行けばいいのか・・・。人生を終わりにしようと思いました。
社会問題をゴシップ的な(あくまでも男女の痴情のもつれで個人対個人の問題であるかのような)報道は、レイプ被害についての制度的問題や、上の一存で逮捕が取りやめになるといった事柄を矮小化するもので、報道姿勢として非常に問題があると思います。
その問題に関心を寄せるきっかけになるならばいいのではと思う方もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
彼女が記者会見に至った動機は「自身の被害を知って欲しい」ではなく「自身の被害体験から、レイプ被害者の被る不利益や、司法制度、手続き上の問題に気付き、様々な人に考えて欲しい」ということなので。告発した人の意図・意思に反する報道があっていいのか、という考えからです。
レイプ被害に遭った時の対応をほとんど教わらない
S「日本の学校では、いかに身を守るかは教えるけど、対処法は教えてくれません。被害を受けたら自分に落ち度があったのではないか。そんな考え方がどこかにあって、自分自身で冷静に事実を認識するまで時間がかかったと思います」
性被害に遭わないために、学校や親、時には似たような経験を共有する友人やネットから多くの事を教えられます。
知らない人に声をかけられたらついていってはいけない。夜道を歩いてはいけない。家の鍵はきちんとしめておくこと。子供しかいない時はピンポンが鳴っても出てはいけない。遅くに帰宅するときはなるべくタクシーを使うこと。防犯ブザーを携帯すること。後ろから人がついてくるのを感じたら誰かに友達でも家族でもいいから電話をかけて話しながら早歩きすること。住んでいるアパートで洗濯物を干すとき、男物の下着も一緒に干すこと。
挙げれば数限りない「対処法」について、私は大学を卒業するまでに何かにつけて教わったり、時に強く忠告されました。
こういった教育について、私は完全に無駄とは言わないまでも、これで絶対性被害から身を守ることが出来るとは限らないと思っています。なぜなら家族と一緒にいたとしても、すれ違いざまの痴漢に遭った経験があるからです。
すれ違う人全員を警戒しろなんて土台無理な話です。痴漢が怖くてすれ違う全員を警戒していたら社会生活を送る前に神経が参ってしまいます。
被害に遭った時どういうケアが受けられるのか、どこに届け出ればいいのか。そういう具体的な知識があるかと言ったら実はほぼありません。痴漢被害を警察署に届ければうまくすれば受け付けてくれてどうにかしてくれるだろうというレベルです。
そもそも平日働いていれば土日は空いていない警察署に届け出が困難なので、だいたいここで詰みます。私のリアルとしてはそんな感じです。
レイプ被害を告発することで立場が危うくなる
M「よくある話って、レイプが?」
S「その通りです。無理だと言われたけど『ホテルの監視カメラ映像が期限切れになる前に捜査してください!』と頼み込んだんです。捜査官も映像を見てようたく、何か犯罪が起こったんだと気づいてくれました。けれど、大手テレビ局員を訴えたら二度と日本で働けなくなる。人生が水の泡になるから、事件にしないほうがいいと言われました。
その後、男性が左遷されたニュースをきっかけに、2015年4月末にようやく被害届を受理してくれました。最終的にその捜査官は非常に協力的に動いてくれたと思います」
これについては、「自分にも落ち度があるのではないか」と被害者が自身を責めてしまうことにも通じる問題だと私は考えています。
性被害をカミングアウトするのは往々にして不快な思いをしたり、不利益を被るリスクが伴います。
「あなたも悪い所があったのではないのか」
「あなたの警戒が足りないのではないのか」
「上司を訴えたら会社で働くことが困難になる」
性被害の原因は被害者ではありません。加害者の問題です。加害者が加害しなければ被害者は被害者にならないわけですから。
しかし、往々にして責任がないはずの被害者の責任を問われたり、被害者が社会的不利益にさらされます。こういった非合理的な扱いは「社会的スティグマ(一般と異なるとされる事から差別や偏見の対象として使われる属性、及びにそれに伴う負のイメージ)」によるものです。
レイプ被害に関する警察の手続き上の問題
S「最寄りの警察に行きました。事情を説明し、女性の警察官と話がしたいと伝え、やっとのことで2時間ほど話したところ『交通課なので男性の警部補と話してください』と言われ、別の担当者に話したら『管轄外だから、高輪署に行ってください』と。別の日に出直してようやく捜査官と話ができたのですが、『よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ』と言われたんです」
M「日本の状況を変えるためには何を改善すべきですか? 支援センター? 法律? それとも権力構造?」
S「すべてですね。でもまずは、警察の捜査システムは改善してほしいです。日本の被害者女性たちに話を聞きましたが、届け出ない人の多くが『男性警官に話を聞かれ、信じてもらえない、そして警察で事件を再現しなくてはいけないから』と言っていました」
M「再現?」
S「そう。大勢の警察官達の前で人形を相手にレイプの再現をし写真を撮られます。フランスにもあります?」
M「まさか! 殺人事件の場合は容疑者が行う場合があるけれど、被害者はありえない。それはひどいトラウマになりますね」
インタビューの中で挙げられている手続き上の問題は以下のようなものです。
〇最寄りの警察署では受け付けてくれずにたらい回しにされること
〇異性(男性警官)に相談する必要があるということ
〇被害者が警察官達の前で人形を相手に被害の再現をし写真を撮られること
もし自分が性被害に遭って、相手を逮捕して欲しいと考え、そういう手続きを経ないと加害者を逮捕できないと知った時、果たしてそれら全ての問題をクリアして手続きを終えることができるでしょうか。
フラッシュバックのリスクもある。徒労に終わる可能性もある。精神的に摩耗する。警察は平日の営業なので、平日仕事をしていたら、仕事を休む必要もある。
そういった問題と天秤にかけて、最終的に訴え出ることを諦める方も少なくはありません。
2013年の調査では、レイプ被害者のわずか4%しか被害届を出していないんです。整備や理解が十分でないために、日本だけでなくアメリカでも「最も届け出の少ない重大犯罪」と呼ばれています。
レイプ被害者のための支援団体の不足
M「レイプ被害者のための団体は?」
S「ありますが、少ないですね。全都道府県にはありません」
M「フランスには支援団体がたくさんあるんですが、あなたはひとりだったのね! 捜査の2ヵ月間ずっと」
私の地元はどうかと調べてみたところ、秋田県には「あきた性暴力被害者サポートセンター ほっとハートあきた」があり、平成29年に設立されていました。かなり最近の話です。性暴力被害者に対して、付き添い支援、医療的支援、心理的支援、法的支援を行っていると書かれていました。
いざという時に身近に相談先があるというのは心理的にもすごく心強いことだと思います。
現在、性暴力被害者のための団体が全国にあるのかどうかは不明ですが、被害者のより身近にそういう相談できる先が増えればいいなと思っています。
警視庁トップの指示で逮捕取りやめになる理不尽
S「捜査の末に、裁判所から逮捕令状が出ました。警察は山口氏の逮捕の日取りを決めました。でも逮捕当日に『警視庁トップの指示で逮捕はとりやめになった』と言われたんです。なぜそんな事が起こるのか? 信じられませんでした。裏で何かが起こっていると恐怖を感じました。また当時は何をしても無力なんだと感じました。担当捜査官も検察官も捜査から外され、誰に相談していいかわからなかった」
これに関してはかなり特殊なケースだと考えています。
刑事事件として警察署で逮捕状を請求し、それを受けて東京地方裁判所で逮捕状を出したにも関わらず、警視庁トップの指示で逮捕が取りやめになるということは、「普通はありえないこと」だと思います。
この事件については2018年2月15日に管轄する省庁および最高裁判所事務総局に対して検証のためにヒアリングが行われました。
その中では「警察本部にいて、一件記録(特定の事件に関するすべての書類をまとめてファイルしたもの)を見てもいない中村刑事部長(当時)が、どうして逮捕状の執行停止を決断できたのか? 」といった疑問も出ており、その判断の正当性に疑念が残るような状態です。
(なおこの返答は「専門性の高い警察本部の立場から、専門性の劣る警察署に対して、捜査方針を見直すように指導するのは通常のことでございます」といったもので、執行停止の決断の理由に対してきちんと答えているとは思えませんでした)
警視庁、ひいては警察は行政機関です。伊藤詩織さんが被害に遭ったこの事件は、行政機関の上層部が現場の調査や判断を「本部だから」という理由で一蹴してもよいのか、という問いを孕むものだと私は考えています。
また、一度裁判所から逮捕状が出たものをいち刑事部長がなぜ覆す必要性があったのか。
意思決定プロセスも、なぜ執行停止できたのかも、私には理解できません。
個人の話を社会的な問題として還元する
「アメリカではワインスタイン個人の話を超えて、みんなで話し合うべき事実となるけれど、日本では加害者と被害者の問題になってしまう」
日本で伊藤伊織さんの会見がゴシップのように報道されたことにも通じますが、日本では性暴力の問題を個人間の問題、いわゆる痴情のもつれとして片づけてしまいがちです。よくあることだと。
しかし、よくあることだからこそ個人間の問題として片づけるべきではないと私は考えています。
よくある理由はなぜか。
性加害者の問題としてではなく被害者側の問題として片づけることが、加害者を免責したり野放しにすることに繋がっているのではないか。
社会全体で考えるべきことを個人の問題として矮小化していないか。
それはただ単に臭いものに蓋をしているだけで、問題解決に繋がらないのではないか。
アメリカの#Metoo がそうであったように、相手がどんなに有名人であっても、権力のある人間だったとしても、被害者が被害の告発をためらわずに言えるような、暴力の事実をなかったことにされないような。そんな社会に変わっていって欲しいと思っています。
※コメント欄にて、刑事事件は必ずしも逮捕されるとは限らない等のご意見を頂きましたので、「性暴力は違法です。性暴力の証拠があり、やったことが明らかな状況なのに。違法であると分かって逮捕されるはずが逮捕されなかった」としていた部分を訂正しました。(2020/5/26)