発達障害の小学校選び

うちの息子のことを書きます。

未就学の利用者向けに、先輩体験談を募集した時、うちの場合、ってことで事例として書き始めたらなんだかえらい長くなってしまってまとまらず、うやむやになってたのですが、ここに記しておきます。


小5・山奥の小学校普通級・2年生の後半から不登校、通級週1・診断名ASD(自閉スペクトラム症)、協調運動障害

◯今のお子さんの様子、お悩み
今はよその放課後等デイサービスに毎日楽しく通って、学校は行事と通級しか行かず基本的に不登校、というのが日常。
学校に行かせることに最初は四苦八苦し、テコでも動かず行かせられなくなってきた頃はたくさん悩みました。
選択肢として、支援級、公立で不登校児のために設立された〇〇学園(全国的にも珍しい)など、見学や面談など途中までは試みるも我が子の特性には難しかったようで上手くいかず。
どう考えてもうちの子に今の教育制度が合わないのでは、、、

結局、デイにしても通級にしてもオンラインのプログラミングにしても、先生(相手)が彼に合わせてくれる環境だからやれているのであって、皆に合わせる必要のあることはハードルが高すぎて乗り越える目標にするのは不毛!と諦めがつきました。

◯就学前のお子さんの様子、お悩み
人と同じことは出来ない、やらない、やりたくない。
こだわりが強くマイワールドにいつも没頭。動きは激しく多動気味だが運動音痴。
意にそぐわないことがあると激しい癇癪、ギャン泣き。すぐパニックになる。
それに対して未就学の頃のわたし(と夫)の捉え方は、
「うちの子は強烈な個性の持ち主、スーパーユニーク!天性のアーティスト!!困ることも多いけど、天性の個性を伸ばしてあげるのが親の使命!」とか思ってました。
テレビは置かず、独自の感性や自由な魂を育てたいと思っており、産前から気になっていたシュタイナー教育を少しづつ取り入れながら暮らしていました。
正社員で育休から復帰する時に選んだ保育園は、出来たばかりでシュタイナーの考えと近い自然派育児のところに入園することができ、安心して預けていました。
が、年少の時の面談で、担任の先生から我が子の困った行動をノート一面にびっしりと箇条書きされたものを延々と、涙目で訴えられ、、、
こちらも、この子は発達障害だと思っている旨伝えると、心底安心されたような先生の表情が忘れられない。(多分、認めたくなくて怒っちゃう保護者も多いのだろうな)
そこで初めて療育センターを紹介されることに。

「典型的なアスペルガーですねー」

と最初に面談した療育センターの医師から言われるくらい特性が際立っていました。
個性的なことと、発達障害は、現実的に違うんだと思い知らされます。
とはいえ、生活していかなければならないので、ハードに仕事をする中で、保育園に長時間預けつつ、療育も始まって、発達障害に関する情報を集めまくったり、でも子育てに全集中は出来ず、シュタイナーの考えにも反する暮らしになってしまったりして、、、意外と完璧主義な私はそんな自分を責めてメンタルがどんどん落ちてしまいました。

私自身、昔からどちらかというと考え方がマイノリティで、多くの人と交わる事が困難、出来ることと出来ないことの差が激しく、社会生活の中で失敗を繰り返しては自己肯定感は下がり続け、自分を変えようと自己啓発やスピにはまって数百万突っ込んできましたが、アップダウンの激しいダメスパイラルを繰り返し。
そんな中で私も適応障害で鬱状態になり、心療内科で発達障害(ADD)も診断されることに…
それでも、こんな自分でも、人とは違う何かがある、と心の底に希望を持ちながらもすぐに打ち砕かれる日々でした。

◯いつ頃から就学に向けて動いたのか

ドン底の中、人生の転換期を迎えます。
私は会社を辞めて、同時に夫も独立することを決め、息子が年中に上がる時に、自然豊かな現在の場所に引っ越してきました。
夫の飲食店も物件を買ってしまったし、ここに根を下ろして、こどもの学校も、隣の市にあるシュタイナー学園に進学させようと決めました。
療育を受けつつも、うちの子を受け止めてくれるのはここしかない!と思い込み、他の選択肢はもはや捨てていました。
保育園も療育センターの先生も、保護者がそう決めてるんなら、とあまり反対もされることもなく。(多分、半分あきれられていたと思われ)

年長になり、何度か学園の説明会や見学や体験を経て、本当に素晴らしい学校だ!!と思いを強くし、いざ願書提出の時期。
年長の夏が終わる頃でした。
学校側には子供の事情を全てお話し、どんなお子さんもウェルカムです、と言ってもらっていたのですが…
実際に在校の関係者からの寝耳に水の情報で、発達障害のお子さんが、他の保護者からの苦情で、授業の邪魔だから辞めさせろ、という圧が強く、本当に転校させられてしまった、と聞きました。

私立で親の圧力に逆らえない学校側の事情もわからないでもないのですが、結局ここにも居場所は無いのか、と驚きと悲しみで、非常に悩みましたが、
せっかく入って途中でそんなふうに責められて辞めさせられるのは耐えられない、
と判断し、公立でも自然豊かで少人数の小学校なら、と希望を託して、それまで頼ろうとしなかった教育委員会の門戸を初めて叩いたのです。

◯調整会議の結果、教育委員会はどう判断したのか?

そこからは急ピッチで情報収集、WISC検査、教育相談、調整会議、と初めて聞くような話と同時に即行動(多分言ってくれていたのに私が聞く姿勢が無くてスルーしてしまっていた情報の数々だったのかも)
しかしWISCも、本人の状態が悪く検査を受けられない課題がひとつあった為、全体の知能指数が出ていなかったり、調整会議の態度も、ギャン泣きで教育委員会の人に、文字通り肩に担がれて一人だけ庭に連れ出されたりして、今なら普通級とか無理でしょ…と思うのですが、一応、「普通級で通級利用をご希望ということで、それが適当」との教育委員会の判断を受ける。

◯その上でどう決断したのか?

知的な遅れは見られないようだったので、単に「知的障害を伴わない発達障害」のくくりで考えていたこともあり、その頃の私は支援級や支援学校に関して知識が全く無く、視野に入れていなかった。
教育委員会から、調整会議を受けに行った直後の電話で、とっても言いにくそうなまどろっこしい言い方で、
「普通級の通級をご希望ということですが、お母様の意にそぐわない場合もあります…特別支援学級になる可能性もありますので事前にお伝えしておきますね…」
と言われた。
その頃理解が無かった私は、
え?どういうこと?ご希望、っていうか、それしか選択肢がもう無いんじゃないの?
いわゆる特殊学級?養護学級?になるの?それは違うんじゃないの??
と不思議でした。
知的を伴わない発達障害で、いわゆる情緒障害、というくくりになり、我が市にはそういう子の為の学級は無いのですが、今にして思えば、もしかしたら、最初から支援学級だったら本人のペースに合わせて学習や社会性の練習などが出来たのかもしれないな、と思っています。
それは、自分の事業所を始めて、支援学級に通うお子さんたちの様子を見て、楽しそうだな、というのと、自分のペースを大事にしつつも社会性を育む良い場のように見えます。

◯その決断をして良かったところは?
少人数で良かった。ヤンキー予備軍が居ない。いじめが無い。変わってる子が多くておもしろい。行事が自然豊かな場を活かしていて楽しい。

◯逆に苦労しているところは?
少人数で皆個性的とはいえ、やはり普通級。
ほんとに普通のカリキュラムをこなさないといけなくて、普通に授業は進んでいくし、普通に宿題が出る。
少人数なことでかえって目立ってしまい、そのくらい勘弁してよ…と思うことまで問題に。
もしかしたら35人とか居るような教室だったら適当にスルーしてもらえたのかもしれない、とも思う。まあ結局同じことだろうけど。

◯これからどうしていきたい?どうなってほしい?
学校に行かないのはもう諦めて、オンラインのプログラミング授業を始めて一年、マイクラのオンライン授業も5年生からスタート、フリースクールにも馴染み始めたので、今後は日数を増やして、なんとか母子分離完了して、自分で決断して動けるようになってほしい。
特性を活かし、やりたいことを極めて、「食える大人」になってほしい。


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