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喉に住まう蝶

人間は喉に蝶を住まわせている。
喉仏のすぐ下で、蝶はその翅を広げている。

父が同じ病気だった、と母は言った。確か、と後に加えて。看護師が手早くメモを取っているのを私はぼんやり眺めていた、気がする。もう何年前の話だろう。漠然と、自分はもう死ぬのか、と思いながら母親と看護師が交わす言葉を聞いていた。私はその当時も父の顔を覚えていなかった。
たくさん検査を受けた。病院の日当たりのいい廊下と初めて見た自分の血液の色以外はもう忘れてしまったけれど。

若い医師が私の身体で起こっていることを幼い私にも分かるように教えてくれた。当時の私に解ったのは喉には蝶がいることと自分はまだ死なないということとヘンテコな病名くらいだった。

完治することはないらしいその病気との関係は今でも勿論続いていて、良くなったり悪くなったりを繰り返している。不器用なのだと思う。身体の持ち主によく似て。そして母の話に聞く父に似て。

喉仏に触れて、それからそのすぐ下の蝶が住まうところに触れて、それから心臓があるあたりに触れて平均より少し早い脈拍を感じる。生きている、と思う。生きろ、と思う。

目に見えることより目に見えない辛さが多い病気である(と私は思っている)。
心を侵食する。時々自分でも気づかないくらい。
だから触れる。自分を赦すことは案外難しい。
頑張れない日があっていい、と言いたい。蝶にも私にも貴方にも。他人から非難される「甘え」なんて言葉の呪いに縛られないで生きたい、生きてほしい。
ありふれた祈りだけれど。

どうか健やかに。


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