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「芋たこなんきん」を見て ~大事なものを伝えられているか~

NHKで再放送されていた「芋たこなんきん」を見て、「私が探していた大事なものがここにあった~!」と、とても嬉しくなりました。

町子とカモカのおっちゃん(健次郎)は、毎日のようにお喋りをします。お喋りする中で、お互いの考えを知り、意見がぶつかった時には自分の考えを修正したり、「意見が違ったら違ったで良い」としたり。相手と同じ意見なのが良いということではなく、お喋りする中で相手の考えを深く知っていったんですね。

ドラマの中で、健次郎が自分の考えについて「町子もそう言うと思うで」と言い、町子が「健次郎さんならきっとそうしはると思います」と言う場面があります。周囲の人たちはその言葉を聞いて、「あの人なら確かにそう言うな。そうするな。」と納得します。

これって、すごいことではないでしょうか。
「その人が大事にしていること」が、周囲の人にもしっかりと伝わっているということですよね。

健次郎の家族、町子の親兄弟、ご近所さん、町子の秘書八木沢さん。身近な人たちが、「健二郎ならこう考える」「町子ならこう言うだろう」と、しっかり分かってくれているんですよね。

私は、自分の家族や周りの人たちに、そんな風に「私が大事にしているもの」を伝えられているだろうか。理解してもらっているだろうか。

「自分が大事にしているもの」は、普段からの言葉かけであったり、態度であったり、その時に何を選択するかであったり、そうしたところから周囲に伝わっていくものでしょう。私はそこまで軸がしっかりしていないなあ、ぶれてるよなあ・・・・と、「芋たこなんきん」を見ながら思いました。

例えば、「本当は〇〇が大事なのは分かっている。でも、お金のために/子どものために/現実的に考えたら無理だから、〇〇を断念して△△で我慢した」ってことが、これまでにもけっこうあった気がします。でも、本当はここでぐっと耐えて、「△△で我慢する」のではなくて、「大変だけど〇〇を選択する」ことが、大事な場面があるんですよね。きっと。

そして、目に見えるのは(そして実現するのは)「〇〇が大事だけど」ってところではなくて、私が「△△を選んだ」ってところ。つまり、周りの人に伝わってしまうのは、「私が大事にしている〇〇」ではなくて、この人は「△△を選ぶ人なんだ」ってこと(汗)

何か、我慢する「しどころ」を間違えてきたんじゃないかな~・・・。
残念ではありますが、今回はモヤモヤしていたことがひとつ言葉になった、ということで良しとしましょう。



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