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「母なるもの」の尊さ ~これに助けられて、子育てできてきたのかも~

母になって10数年。

こんな自分でも、母親が務まるんだろうか?という思いもありながら、何とか子育てをしてきました。

その中で気づいたのが、「母なるもの」に助けられて何とかやってこれたんだな、ということ。

「え?どういうこと?」と思われるような、ちょっとややこしい話ですが、子育てをしている方たちに、「そうやって考えると救われる」「そうやって考えれば肩の力を抜いて頑張れる」と、ちょっとでも思ってもらえたらいいなと思って、綴ってみます。

色んな親子関係があるので、ちょっと違うな、いやだいぶ違うな、と思われる方もおられると思います。でも、私のように感じている方もおられるんじゃないかな~と思います。そんな方に届きますように。

子育てしていて「あ~、何でこんなことを言ってしまったんだ」「あんなことしてしまって、申し訳なかったな」と反省することが、たくさんあります。子どもが私の言葉や態度に腹を立てたり、傷ついたりすることもたくさんあったと思います。(子どもの寝顔を見ながら「ごめんね」と謝るは、アルアルですよね)

それなのに!そんな私に対して、子どもたちは「ママ~!」「大好き」と言い続けてくれます。母への愛は強いし、続くんです。

で、何でこんなに母のことを好きでいてくれるんだろう?と不思議に思って考え続けていました。そして気づいた「母なるもの」の尊さ。

子どもの中にはたぶん、「母なるもの」のイメージが存在しているんです。「お母さん」というもののイメージ。温かかったり、自分を無条件で受け止めてくれたり、叱られても絶対に見捨てない母。そのイメージは、「実際の私(母)がそうである」というよりも、おそらく子どもが「そうであって欲しい母親イメージ」なんだと感じます。

つまり、「今はいくら怒ってても、ママは私を見捨てない」「ママは自分を守ってくれる」「ママは温かい」という、「母なるもの」イメージが子どもの中にはあって、実際の生身の私に投影されていて、子どもたちはそれを含めて母を見ているんじゃないかなあと思うのです。

そう考えたら、子どもがめげずに「ママ、大好き~!」と言い続けてくれることが腑に落ちました。いくら私が子どもに対して失言してしまったり、「しまった!」と思うような言動をしてしまっても、この「母なるもの」が親子関係を守ってくれている、と思えたんです。

実際の母はそこまで良い母親ではないかもしれない、でもきっと子どもの中にある「母なるもの」「母のイメージ」は、とても温かく、絶対に自分を守ってくれるものなんだろうな、と思ったら、私は肩の力が抜けました。

それまでは、子どもに「大好き」と言われると、「そんなにいい母親じゃないのにな~、ごめんね。ありがとう・・・」と、ちょっと後ろめたいような気持ちもありました。でも、「母なるもの」が私に投影されていると思ったら、そのイメージを引き受けて母親というものをやっていけばいいのか。そうすれば、子どもも安心して、満足して過ごせるんじゃないのかな~、と思ったわけです。

そんな難しいこと考えなくてもええやん、こじらせてる~とも思いますが(苦笑)なぜ子どもはそれほど母のことが好きなのか、謎が解けて腑に落ちたのと、「母なるもの」のイメージに助けてもらって子育てすればええやん、と肩の力が抜けたことが良かったなあと思います。

おわり






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