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To wife【課題:葬式】

江崎光造(63) 薬学学者・大学教授
橋部敬一郎(70) 薬学学者・大学教授・江崎の先輩
黒川昌一(80)秀子の父
江崎玲奈(31) 江崎の娘
橋部康江(68)橋部の妻
福井理(38) 江崎、橋部の後輩・学者
江崎英子(57) 江崎の妻・故人

リポーター、記者A~D、司会者

※この記事は、投げ銭制です。気に入られたら、お気持ちひとつ、よしなに※

○北川大学・ホール・記者会見会場・中(夜)
   大勢の報道陣で埋め尽くされたホール。
   カメラの前にマイクを持って立ち、
リポーター「日本人19人目、そして記念すべ
  き20人目のノーベル賞受賞者が誕生しまし
 た。北川大学薬学部教授、橋部敬一郎さん
 と江崎光造さんです。2人で研究を重ね、
 がん細胞を副作用なく、完全に死滅させる
 薬を生み出すことに成功しました。まもな
 く、記者会見が開かれます」
   ホールの一番奥に配置してあるパイプ
   机に、江崎光造(63)と橋部敬一郎(70)が並
   び、報道陣と向き合い座っている。
   卓上には多くのマイクやレコーダーが
   配置され、2人の後ろには北川大学の
   ロゴが描かれたパネルがある。
記者A「橋部教授、江崎教授、ノーベル医学
 賞受賞おめでとうございます」
   笑顔で片手を挙げる橋部、緊張した面
   持ちで静かに会釈する江崎。
記者A「二人三脚で頑張って来られましたね」
   橋部、江崎の肩に力強く手を置き、
橋部「彼には本当に色々と助けられました」
   恐縮した様子で、
江崎「……いえ……とんでもない」
橋部「まさに女房役ですよ。本当のワイフみ
 たい。うちにいるのとは比べもんにならん」
   笑いに包まれる会場。
記者B「江崎さんもやはり、ワイフには頭が
 上がりませんか?」
   報道陣から笑いが漏れる。質問した記
   者を一瞥し、伏し目がちになりながら、
江崎「……そうですね……感謝しきれません」
橋部「……」
記者C「授賞式でのスピーチですが、お2人
 共もうお考えですか?やはり英語で?」
橋部「僕は適当に喋れと言われれば喋るけど、
 彼は口下手なんですよ。な?」
   江崎に問いかける橋部。
江崎「……ええ……それに英語も苦手です」
   どよめく報道陣。驚いた様子で、
記者D「英語が苦手なのに論文を読んだり書
 いたり出来るんですか?」
江崎「……妻が……訳してくれていました」
   突然、ホールに駆け込んで来る福井理
   (38)。福井に振り返る報道陣。
   肩で息をし、目に涙を溜めた福井がホ
   ールの最後列に立ち、江崎を見据えて
   いる。福井を見た後、ゆっくりと首を
   擡げ、静かに目を閉じる江崎。

○江崎家・居間(夜)
   畳の上に江崎英子(57)の遺体が、顔に布
   を掛けられ、安置されている。
   江崎、福井、黒川昌一(80)、江崎玲奈(31)
   が英子を囲む様に座っている。
   江崎、英子の顔の布を取り、英子の額
   を撫でる。
江崎「……間に合わなくて……済まん」
   少しムキになって、江崎に、
福井「奥様が会見に出てと後押ししたんです。
 最期を看取れなかったのは残念ですが……」
黒川「……ありがとう、光造くん」
   黒川を見る福井。
黒川「君は娘の夢を叶えてくれた。これから
 君の薬で救われる人が出て来る。君の薬は
 その人達の希望の光だ」
   言い終わると同時に、悔しそうに顔を
   歪ませる黒川。涙ぐみ、天を仰いで、
黒川「おい!母さん。性質が悪いぞ。何も娘
 を同じ病気で命さらうことなかろう」
   嗚咽を堪える黒川。涙を流す玲奈。
   遣る瀬無い表情の福井。覇気のない様
   子で依然英子の額を撫でつつ、
江崎「……」

○同・江崎の書斎(夜)
   医学・薬学関連の書籍がぎっしり詰ま
   った本棚が壁を覆う書斎。本棚の一角
   に木箱とカメラが置いてある。木箱を
   棚から降ろす江崎、蓋を開く。
   若かりし頃の英子の写真が出て来る。
   『文学部英文科卒業式』と書かれた立
   て看板の前に立つ袴を着た英子や、浜
   辺で水着を着た英子の写真。微笑みつ
   つ写真を見ていた江崎の手が止まる。
   机の上で論文と辞書を広げ、机に伏せ
   た状態で、居眠りをした英子の横顔を
   俯瞰で捉えた写真。
   写真から顔を上げ、書斎の机に目を遣
   り、近く江崎。机の上には英論文と
   表紙に『医療薬学英語辞書』という題
   字と、「A病棟503号室  江崎英子」
   のシールが貼られた分厚い、使い古され
   た辞書がある。論文には多くの書き
   込みがある。辞書を手に取り、開く江
   崎。多くの用語にマーカーで線が引い
   てある。ページを捲るにつれ、怪訝な
   顔になる江崎。辞書の途中から落書き
   の様な線が数ページに渡り書いてある。
   捲る手を止め、目を見張る江崎。
   “Cancer  癌”の説明部分に大
   きくバツ印が入れてある。
   辞書を手から床に落とす江崎。振り乱
   して、論文の紙を破り捨て、本棚の本
   を矢継ぎ早に床に落として行く。膝か
   ら崩れ落ち、慟哭する江崎。
   ×      ×     ×
   床に散乱した本と論文の紙片の上に、
   仰向けで横たわる江崎、ひっくり返っ
   た木箱に目を遣る。数通の封筒が写真
   や本の隙間に見え隠れしている。上体
   を起こし、封筒に手を伸ばす江崎。
   『光造さんへ』と書かれた封筒達。中
   を開き、便箋を読む江崎。
英子の声「お手紙、読んでくれましたか?お
 返事がないので、心配しています」
   次の便箋を開く江崎。
英子の声「筆不精だから返事は書けないと言
 っていたけれど、読んでくれるだけで嬉しい
 です。また書きます」
   また次の便箋を開く江崎。
英子の声「返事はないと分かっているのに、
 書いてしまう私は少し変でしょうか?」
   便箋をたたみ、意を決した様子で立ち
   上がる江崎。
   ×      ×     ×
   床に幾つかクシャクシャに丸められた
   便箋が落ちている。書斎の机に向かい、
   座っている江崎。卓上に数行だけ文字
   の書かれた便箋。続きを書きかけて、
   途中でペンを置き、便箋を丸め後方に
   投げる江崎。ため息をついて、
江崎「……論文より……難解だ……」
   背もたれに体を預ける江崎。

○同・居間(夜)
   英子の傍に座っている玲奈。
   江崎が入って来る。論文に囲まれ居眠
   りした英子の写真を差し出し、
江崎「遺影はこれでいこう」
   受け取る玲奈。眉間に皺を寄せて、
玲奈「ダメよ。ちゃんと正面向いて笑ってる
 やつって言われたのよ」
江崎「いや。これがいい」
   居間を出て行く江崎。
   首を傾げ、不満げな玲奈。

○告別式会場・中
   祭壇の遺影は居眠りしている英子。
   祭壇の脇に横一列で並んだ江崎、玲奈
   黒川。焼香客にお辞儀している。最期
   の客が席に付く。
司会「それでは喪主より皆様にご挨拶です」
   祭壇の前に移動し、弔問客達に向き合
   い、一礼する3人。客席には、橋部と
   橋部康江(68)の姿がある。
   係員からハンディマイクを受け取り、
江崎「……ほ、本日はご参列頂き……ありが
 とうございます……」
   ふぅと息を吐く江崎、緊張した様子。
江崎「私事で恐縮ですが、先程、私ごときに
 は勿体ない光栄な賞を頂きました。妻なし
 では得られていません。何故なら、妻が論
 文を訳してくれていたからです」
   遺影を見つめる弔問客たち。
江崎「妻への感謝は尽きません。だから、妻
 への想いを認めようと思いました」
   喪服の内ポケットから封筒を取り出し、
   中から便箋を出し、開く江崎。
   便箋に視線を向ける玲奈、怪訝な顔。
   江崎、白紙の便箋を客席に向ける。
江崎「無理でした。書こうとすればするほど、
 書けませんでした」
   息を飲んでいる弔問客たち。
江崎「数日後、授賞式があります。でも、妻
 とは今日でお別れ、連れて行ってやれない
 のが心残りです。ですので、授賞式の時、
 壇上から言おうと思っていたことを、身
 勝手をお赦し頂いて、ここで言わせて下さい」
   振り返り遺影に向き合う江崎、大きく
   深呼吸をし、しっかりと遺影を見つめ、
江崎「英子……I Love You.」
   大きく息を吐く江崎。客席に振り返り、
江崎「皆様への挨拶でありながら失礼しまし
 た。私同様、生前愛して下さった皆様
 へ厚く御礼申し上げます。有難うございま
 した」
   頭を下げる江崎。
   静寂を破る様に嗚咽する橋部、号泣し
   たボロボロの顔で立ち、拍手しだす。
   困惑している弔問客たちと玲奈と黒川。
   隣で泣いている康江、周囲を見回し、
   橋部を制止しながら立ち上がり、
康江「葬式で拍手はないでしょ!」
   泣きながら拍手を続ける橋部。
   弔問客の一人が拍手しだす。また一人、
   また一人と拍手が大きくなって行く。
   会場中が拍手している。
   恐縮し、照れた様子の江崎。涙ぐんで
   いる玲奈と黒川。頭を下げる3人。

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