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灰人ーはいじんー【課題:不安】

登場人物
渡部 佳子(42) 主婦
迎井 ひさゑ(82) 佳子の母
渡部 真司(45) 佳子の夫
渡部 有紀(8) 佳子の娘

○迎井家・居間〜台所
   きちんと整理整頓された清潔な居間。
   渡部佳子(42)と迎井ひさゑ(82)がいる。
   佳子はTVを観、ひさゑはソファで鼻
   唄を歌いながら編み物をしている。
   靴が入るサイズの袋で、底辺部にロー
   マ字で『YUKI.W』と編んである。
   TVに流れる啓発のCM。
CMの声「それは認知症のサインかもしれま
 せん。①以前よりだらしなくなった。②今
 まで出来たことが出来なくなった……」
   佳子、ひさゑを見て、
佳子「お母さんには関係ないわ」
   編み物から視線だけをTVに向け、微
   笑み、再び編み物をしながら、
ひさゑ「さぁ、私も年だからねぇ」
佳子「大丈夫よ、マメだし。しっかり者だし」
   袋をマジマジと見つめてから、
ひさゑ「はい、出来た」
佳子「トウシューズとお揃いの色でいい感じ」
ひさゑ「今度の日曜の発表会、行くからね」
佳子「おばあちゃんの為にも頑張って踊るっ
 て言ってたわよ、有紀」
   微笑み、素早く編み物道具を傍にある
   引き出しの二段目に片付けるひさゑ。
ひさゑ「煮物炊いたから持って帰りなさい」
佳子「ありがとう!あの味なかなか出せないの
 よね。パパと有紀も喜ぶ」
ひさゑ「一番嬉しいのはあなたでしょ。今晩
 また一品助かるんだから」
   舌を出す佳子。微笑むひさゑ。

○渡部家・ダイニング(夜)
   食卓の上に並べられた食事。
   渡部真司(45)と渡部有紀(8)が並んで席に
   就いて談笑している。
   キッチンでタッパーの煮物を器に移し
   替えている佳子。器を食卓へ運ぶ。食
   卓の中央に置かれた器を見て、
有紀「おばあちゃんのだ!」
佳子「二人とも好きでしょー?」
   頷く渡部と有紀。三人、合掌して、
佳子・渡部・有紀「いただきまーす!」
   箸を持ち、一斉に煮物を摘む三人、そ
   のまま頬張る。しばらく噛んで、顔を
   歪ませる三人。突然泣き出す有紀。
有紀「しょっぱい!」
佳子「お皿の上に出しなさい。いいから早く」
   渡部、咳き込んで流しに行く。我慢し
   ながら有紀を介抱する佳子。渡部の嗚
   咽と水を流す音が聞こえる。
   有紀を連れ、流しに移動する佳子。
   コップに水を入れ、有紀に飲ませる。
   真司に向かって、
佳子「大丈夫?」
   頷く渡部。有紀の頭を撫でながら、
佳子「塩と砂糖を間違えたのかしら」
渡部「お義母さんらしくないな」
佳子「……」

○同・リビング
   TVを点け、掃除をしている佳子。
CMの声「認知症のサインかも?」
   掃除の手を止め、TVを見る佳子。
CMの声「同じ事を繰り返し尋ねる。したこ
 とを思い出せない……」
   電話が鳴る。受話器を取る佳子。
佳子「はい。渡部でございます」
ひさゑの声「佳子?母さん」
佳子「あぁ、何?」
ひさゑの声「有紀ちゃんのね、発表会いつ?」
佳子「……今度の日曜でしょ。お母さん観に
 来るのよね?」
ひさゑの声「あぁ、日曜か……」
佳子「楽しみにしてたでしょ……そうだ。こ
 の前くれた煮物だけど、いつもと味が違って
 たの。どうかした?」
ひさゑの声「……煮物?」
   訝しい表情の佳子。
佳子「……持たせてくれたじゃない?」
ひさゑの声「煮物なんか作ってないわよ。そ
 れよりねぇ、有紀ちゃんの発表会、いつ?」
   息を飲む佳子。一呼吸置いてから、
佳子「今から行く、どこにも行かないで」
   受話器を置く佳子。目を瞑り、
佳子「……そんなはずないよね」
   目を開き、鞄を手に取る佳子。TVを
   消そうとリモコンに手を伸ばすと、
CMの声「物の位置がわからない……」
佳子「……」
   TVに向かって思いっきりリモコンで
   電源を消す佳子、足早に出て行く。

○迎井家・外観・正面玄関
   自転車で駆けつけた佳子、急いで中へ
   と入って行く。

○同・居間
    襖を勢い良く開ける佳子。
佳子「……何これ……」
   泥棒が入ったかの様に家中のありとあ
   らゆるものが床に散乱している。
   ひさゑが居間を徘徊している。
ひさゑ「おかしいわねー。ないわねー」
   呆然としている佳子、気を取り直し、
佳子「どうしたの?何が無いの?」
ひさゑ「編み物のセットよ」
   引き出しを見る佳子。
   どの段も引き出しごと引き抜かれ、中
   身も床にひっくり返っている。その中
   に転がる数個の毛糸玉と編み物道具。
   驚いて一式を拾い上げ、ひさゑに、
佳子「ここにあるじゃない」
   佳子に振り返り、佳子の手から編み物
   セットを取り上げるひさゑ。笑顔で、
ひさゑ「な〜んだ。そんなとこにあったの」
佳子「……見えてたでしょ?」
   聞いていない様子のひさゑ。開いた口
   が塞がらない佳子、居間を見渡して、
佳子「……ほ、ほら。こんなに散らかしちゃ
 って。片付けないと」
   床の物を集め始める佳子を見下ろし、
ひさゑ「いいわ。そのままで」
佳子「……え?」
ひさゑ「面倒臭いじゃない」
佳子「……片付いてないの嫌いでしょ?」
   欠伸をするひさゑ。
ひさゑ「なんだか草臥れちゃった」
   編み物セットを粗雑に床に放り投げる
   ひさゑ。そのままソファに寝転ぶ。
   唖然とする佳子。力無く立ち上がると
   壁掛けカレンダーの日曜の欄に『有紀
   発表会』の赤文字があるのを見つける。
   寝転んだまま佳子に向かって、
ひさゑ「そうそう。有紀ちゃんのバレエの発
 表会、あれいつだったかしらねぇ?」
   カレンダーに釘付けになる佳子。
佳子「……」

○渡部家・寝室(夜)
   ツインの寝室。パジャマ姿の佳子と渡
   部。ドレッサーに座り手入れをしてい
   る佳子と、片方のベッドに寝転ぶ渡部。
渡部「妙と言えば、妙だな」
佳子「絶対可笑しいわよ。お母さんには有り
 得ないことばっかり」
渡部「まあ、年も行ってることだし」
佳子「一度病院に連れて行くわ」
渡部「いくらCMとシンクロしてるからって
 気にしすぎじゃないか?決定打はないだろ」
佳子「(トーンを落とし)さっきの惨状を見
 てないからそんな暢気に言えるのよ。煮物
 だって、鍋から目を離さない位こだわりの
 ある人が作ったこと自体を忘れるなんて」
渡部「まあ、しばらく様子見てみろよ。今日
 だけかもしれないから」
   蒲団の中に入る渡部。呆れ顔で渡部を
   見た後、ドレッサーに頬杖をついて溜
   息を吐く佳子。

○迎井家・台所(夜)
   灯りの点いていない台所。
   コンロに火にかけられた鍋があり、窓
   からの月灯りに照らされている。汁が
   吹きこぼれた後で、中身は汁気が無く
   具材が激しく震動している。鍋の底が
   徐々に火で浸食され始めている。

○渡部家・寝室(夜)
   暗くなった寝室。寝ている渡部。
   蒲団の中で起きている佳子。
佳子「……」
   突然起き上がり、ヘッドライトを点け
   る佳子。目を覚ました渡部に、
佳子「私、お母さんの所行って来るわ」
渡部「明日でいいだろ。行ってどうなる」
佳子「……なんか……胸騒ぎがするの」
   深刻な表情の佳子を見つめる渡部。
   消防車のサイレンが聞こえて来る。
   顔を見合わせ、各々蒲団から出る二人。
   カーテンを開けて外を見る二人。少し
   先の空が赤い。寝巻姿の野次馬たちが
   そちら目掛けて走っている。
   驚く佳子と渡部。
渡部「お義母さんの家の方角じゃないか」
   慌てて寝室を後にする二人。

○迎井家・外観・火事現場
   燃え盛るひさゑの家。数台の消防車と
   野次馬たちで騒然としている。
   消防士に支えられ、呆然と立ち尽し家
   を見つめているひさゑ。
   人だかりを掻き分け、ひさゑを見つけ
   る佳子と有紀を抱えた渡部。泣きじゃ
   くりながらひさゑに抱きつき、
佳子「お母さん!良かったー……」
   佳子を腕で遠ざけ、じっと顔を見つめ、
ひさゑ「……誰だい、あんた?」
   絶句する佳子の顔を炎が照らしている。
   より一層激しく燃え上がる家屋。


創作の製作過程を覗きみて、楽しんでいただけたら。