ごめんねありがとう

4/6に母方の祖母が亡くなったと姉から連絡がありました。
正月には普通に元気で一緒に買い出しに行ったし、バンドの調子はどう?みたいなことも聞いてくれてたし、それからもう会えなくなるなんて微塵も思わなかった。
近しい人間の死を目の当たりにしてこんなにも自分の気持ちが落ち込むもんなのかと打ちひしがれてる訳なのですが、一緒に写真を撮る習慣が全くないのでこの気持ちを何かに残さなきゃなと思いnoteを書いてます。

ばあちゃんの家は実家から自転車で10分くらいで着く程近くにあってアップライトピアノが置いてあったから小さい時から練習しに急に会いに行ったり小遣いせびったりしてました。

高校三年生のころ、大学受験の志望校のことで母親と毎日喧嘩して担任も母の肩を持つもんだから周りに敵しかいない感覚に陥っているときに、ピアノの練習の傍にばあちゃんに会いに行ってお菓子を食べながらちょっと喋ってリフレッシュ出来たから精神を保ててた気がしてます。

そんなおばあちゃんはド天然で老いによるボケなのか本気でボケてるのかよくわかんないし、三ツ矢サイダーのアメを袋から破いて出そうという時、勢いよく破くもんだからアメが飛び出してきて「やだぁ!生きてる!」なんて言うくらいには天然でした。そんなド天然でとても柔らかい雰囲気で美人で、70歳超えてもバレーボールやるほどパワフルでかわいいばあちゃんが大好きでした。

そんなおばあちゃんに今更謝っておけばよかったなと後悔してることがあって、大学生になったくらいから結構耳が遠くなってきたばあちゃんが補聴器を付けてくれなくてだんだん上手くコミュニケーションが取れなくなっていった時期がありました。自分が1番悪いのですがそんなばあちゃんに語気を強くして話したり、伝わらないことにイライラしてしまったこと、もっと伝える努力ができなかったこと。
なんでもっと早く大人になれなかったんだろうなと酷く後悔してます。

自分なりの罪滅ぼしのつもりで文を書き散らしても何も伝わらないし、ただの自己満足なのは重々承知で書いてます。
もし浄土があるなら、そこで再開する時に胸張って会えるように美しい思い出を違った形にしたためて火にくべれるよう残していきたいです。

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