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学術会議問題③ 人を傷つけることに慣れすぎていないか?

こんばんは。lotterです。
記事をのぞいていただきありがとうございます。

今まで2回にわたり書いてきた「日本学術会議」問題。

日本学術会議法の解釈でいっぱいいっぱいで、問題の中心に入っていけませんでした。

それでも前回、

任命拒否はできるけど理由は必要だろう

というところまではたどり着きました。

じゃあ理由なしに拒否するのはダメじゃん!

巷では、拒否することの何が問題なのか?といった声も聞かれますが、法解釈的にはそうは言えないということです。

では、理由はなんでもいいのでしょうか?

そこに、学問の自由の捉え方が関わってきます。

最後ですが、その話をしていきます。

学問の自由?

日本学術会議は、法律上、科学技術の発展や科学を行政に反映させる方法などについて「政府に勧告」することができます。

また、「政府から諮問」を受けることもあります。

この両方が日本学術会議法に書かれているわけですが、政府に気を遣って自らの学問的信念をねじ曲げてしまうとしたらどうでしょう?

まあ、これについては「そんなことする学者はいない」と言われればそうかもしれません。

では、政府が自分たちに都合のいい考えをする人ばかりを会議のメンバーに選んだらどうでしょう?

日本学術会議は、科学に関する全国組織で、「諮問」の対象事項には「科学に関する予算の使い方」みたいなものも含まれています。

そうなると、政府が奨励したい研究だけに多額の予算がつき、あるいは全国的に振興され、それ以外の研究を行っている学者は締め出されてしまう。みたいな極端なことも起こりえます。

だからなんだ?研究なんて自費でやるべきだろ!

という声もあるかもしれませんが、それだけで成り立たないのは明白です。「今は1円も生み出さないけど必要なこと、誰かがやるべきこと」というのが絶対的に存在するのです。

それが「学問」に含まれていないんて。

「お前の研究は国のためにならん」なんて国家が好き放題言ってしまえば、それは明白な「学問の自由の侵害」だと思います。お金が儲かる研究だけ流行ればいいのか?

貧困の解決や環境問題、非常時の国家対応・・・そんな悲しい研究テーマははどっかで勝手にやってくれと。

もちろん、今でも全ての研究に同じ予算がついているわけではありません。予算の決まり方が平等であるという方が理想論だとも思います。

でも、少なくとも、国の機関は「タテマエ」であっても

科学・学問のことは科学・学問的な評価で決める

という理想論を貫くべきです。

それがなければ「学問の自由」なんてあってないようなもの。

となると、任命を拒否するのであれば、科学・学問的な評価が理由とならなければならない。そして、それを示すべきということになります。

おまけ:学術会議は税金使ってるんだから?

これも、今回に限らず色々な問題のときに言われます。

でも、この件については論点がズレていると言わざるを得ないかなと。

例えば、

・税金を使っているから説明責任を果たすべき
・税金を使っているから透明性を確保すべき
・税金を使っているから民意を反映すべき

という主張は、それ自体の当否は置いといて、基本的に「税金を使われているその組織と国民との関係」についての立論です。

今回はそうではなく、

その組織と(税金を配分する側の)政府との関係

が問題となっているわけです。
だからこの論をもって、内閣総理大臣が推薦された学者の任命を拒否していいことにはならない。

もちろん、日本学術会議がもっと透明性のある組織になりなさい!という主張を否定するわけではありません。

でもそれは、今回の問題とは無関係に成り立つ主張ですよね?
そのことからもなんとなく論点がズレていることが感じられるかなと思います。

まとめ

と、色々書いてきましたが、あくまで法解釈的な考え方のお話です。

このニュースに触れて感じること、考えることに貴賎や正誤はないと思います。

でも、それを外部に発表するときには、こういった馴染みにくい議論も成り立つのだということが意識されてほしいなと思います。

問題の本質はあくまで、「法律に書いていないこと(法解釈的に無理があること)」を理由なく平気でやってしまったことにあります。

そこには、税金の投入の有無はもちろん、任命拒否された方の人物や研究の価値は無関係です。

それなのに、任命を拒否された学者の方々の人格を否定することにつながりかねないコメントが有名人からも出ています。正直、見ていてあまり気持ちの良いものではありません。研究業績を否定するものも同じです。

と同時に、学問にほんのちょっとでも関わろうとしている身にとっては、そういったコメント含め、非常に考えさせられる問題です。

いつかの記事で、

通説にならなくても議論を起こすことで
学問は発展していく

と書きました。その思いは今でも変わっていません。「目に見えて誰かや何の役に立つ」のはその後なのだと。

でも、拒否された方が悪く言われてしまうのであれば、その考えだけでもダメなようです。理論と実務の架橋ですね。

がんばらないと。

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