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湯けむり夢子はお湯の中 #2 ビリーの湯 【お話】

 
 あっぷちぇんがーる♪もとい、ビリー・ジョエルの『Uptown Girl』が流れる店内。脱衣所にもスピーカーからご機嫌なあっぷちぇんがーる♪

♨️

 こんばんは、湯川夢子39歳。3月で四十になります。
 今宵は、近所の夢子御用達銭湯『ビリーの湯』さんにお邪魔しています。

 先代までは『亀の湯』という名前だったのですが、跡を継いだ三代目が何の迷いもなく、周りの制止も振りきって改名しました。伝統もへったくれもありません。

 お察しのとおり、三代目のたくちゃんはビリー・ジョエルを敬愛し、ビリーに魂を売って丁重にお断りされた男。
 彼の暴走は誰にも止められず。亀の湯全面改装の折、富士山と亀が描かれた先代ご自慢の壁画は、装いも新たに『ピアノマン』のジャケットをモザイク画で完全再現。サウナに設置されたモニターには、随時ビリー楽曲PVが流れております。

 もう、ここまでされたら…ビリーのこと好きになっちゃうよね。
 拓ちゃんの職権乱用っぷり…洗髪サービスとかやってくれりゃあいいのに、見事私を洗脳したのでした。

 しかし、お湯は変わらず絶品で、掃除も行き届いており、従業員への教育もバッチリ、みんな感じのよい人ばかり。だから私は少なくとも週一~二回は通っています。

♨️

「ふうぅ…風呂上がりのコーヒー牛乳は格別ですな」
 お酒の飲めない私の楽しみは、キンキンに冷えたコーヒー牛乳をグビグビあおること。喉が喜んで鳴ります。

「なによ、何かいいことでもあった?」
 番台から拓ちゃんが声をかけてきました。 

「普通よ、フツー。つまり、悪いことが何も起きなかったの。こんな幸せなことってないわ」
 
 新人の神林かんばやしくんは珍しくミスしなかったし、クレームはゼロ。仕事もサクサクこなして定時には退社。実に爽快!

 からになったコーヒー牛乳の瓶をケースに返し、店内に流れている『ピアノマン』に合わせて鼻唄を歌います。

「そうかよ、そいつはよかったね。仕事が好きかい?」

「心から入りたくて入った会社じゃないけどね。今日みたいな日には私、この仕事好きだなって思うのよね」

「ハハッ、俺もおんなじよ。風呂屋なんてダセェ、継ぐもんかって思ってたくせにさ。いざ夢からあぶれて、どこも雇ってくれるとこもねえって気づいたあと、親父が体壊して隠居するってなってさ。でも今ではここが俺の居場所かな…人生マイライフって何だろうね?って」

「拓ちゃんの夢、デカかったもんね。日本のビリー・ジョエルになって、山の手に住む薫子さんをかっさらって、渡米して、ビバリーヒルズに豪邸建てるって…」
「もういい、みなまで言うな」
 
 薫子さんはアメリカ人の実業家と結婚して、ボストンで暮らしています。お子さんが二人と大きなワンちゃんもいて、年賀状の写真からは立派な豪邸にお住まいなのがうかがえます。

「でもさ、拓ちゃん半分夢叶えたようなもんじゃない」
「気休めはよしてくれよ」
「ビリー・ジョエル尽くしのお城建てちゃってさ」
「ほとんど俺と仲間で作ったお手製だけどな」
「新規の顧客獲得にも成功したし。ビリーファンのね」

 待合所のソファに点々と座る人々は、いい湯にかってほわほわにぬくめられ、『ピアノマン』を聴きながら音楽に身を委ねています。

 みんなそれぞれの若かりし頃があり、それぞれ何かしらを抱え、ビリーの湯で浮世の垢を落とし、すっきりさっぱりした顔で、またそれぞれの明日へと帰ってゆく。

「夢子が酒飲めないのは残念だなぁ」
「あら?何か不足なことあったかしら?」
「…いや、ないね」

♨️

『Longest Time』が流れ始めました。湯冷めしてはいけませんので、良きところでおいとまいたしましょう。ダウンを着込んで、いざ銭湯の外へ。今夜もオリオン座が綺麗。

しみじみ結構なお湯でございました。本日はこのへんで。


♨️おしまい♨️


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀




 










 

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