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【ピリカ文庫】睡魔と睡蓮 《物語》

 夏のはじまり、私は新しいお家に引っ越した。
 外観は、群青色の屋根に白い塗壁ぬりかべ。黒い鉄の手すりがついた階段を三段あがると葡萄ブドウ色の扉に辿り着く。

 お家の裏手にはお庭が広がっていて、小さな駅のロータリーくらいある。長い間誰も住んでいなかったため、家の中よりも手入れされていないようだった。

 伸びに伸びたくずつるは引っ張ってもなかなか切れず、その葉はもりもりと茂り、庭木を覆うように絡まっている。にもかかわらず、緑の波間からタチアオイや千日紅センニチコウが「私達、ここにいます」と明るい花色を覗かせている様は実に健気で、見る者の胸をキュッと締めつける。

 そんな荒れ放題のお庭を奥へ進むと、つるにも雑草にも侵食されていない大きな池が寝そべっている。
 パパはその池を気に入り、ここを買った。

「ご覧、萌音モネ。まるでモネの絵に飛び込んだかのようだ」
「素敵……。まさしくモネね」

 たしかに。
 緑の藻が揺らめく池には青空が映り込み、ピンクや赤の睡蓮が咲いている。その光景は、いつかパパと観に行った印象派展のモネの絵さながら。
 ちなみに、私の名前は画家のモネから音をもらったそうだ。だから、モネ好きのパパとの会話は、時折、こういうややこしい感じになる。

「萌音、夏休みが明けたら新しい学校へ転校できるよ。そうすればきっと眠れるようになるさ」
「……心配ばかりかけて、ごめんなさい」
 橋の上から池を見下ろしたら、思いの外、自分の目の周りが黒くくぼんで映し出されたのでゾッとした。
 たまらずマイコー・ジャクスンの『Thrillerスリラー』を踊ると、水面越しにパパがそっと首を振った。
「萌音、笑えないよ」
「……ごめんなさいパパ」

 ポチャン……と響く水音。
 視線を移すと、小さなアマガエルが長い後ろ足を蹴って、睡蓮と葉の間を泳いでいった。

 あらかた荷ほどきを終え、残りはまた明日あすやることにして、パパは西側の寝室に、私は二階の東の部屋へと収まった。
 ベッドの上には本の入った段ボール箱が積まれている。本棚に少しでも仕舞っておこうとひとつ開けたが最後、整理しているうちに目がバッキバキに冴えてきて、気づいたら夜が明けていた。
「またやってしまった」
 白んでゆく空。やがて、まだカーテンを取り付けていない窓から健全な朝の光が射し込んできて、私を絶望させた。

「おはよう萌音。……ムムッ! まさか、また眠れなかったのかい?」
 朝五時半。明るいキッチンで一心不乱にコーヒー豆をく私の顔を覗き込んだパパがすぐに察し、涙目になった。
「可哀相な娘よ。睡眠薬はどうしても駄目かね」
 前にお医者様に処方してもらった睡眠薬を飲んだことがあったが、服用し始めて三日で全部捨ててしまった。布団に身体が張りつくような寝覚めがどうにも気持ち悪かったのだ。

 無言でガリガリとコーヒーミルを回し続ける私の頭を抱きしめながら、パパは嘆いた。
「私は無力だ。こんなにも萌音が苦しんでいるというのに」
 お庭では、尾長鳥オナガドリ達がギューイ、ギューイと警戒音で鳴いている。

「コーヒーは粗挽きが好きなんだけど、いいんだ。パパも今朝はうんと苦いのが飲みたい気分だから」
 私の手を止めさせ、ミルの引き出しを開けたパパは、パウダー状になったコーヒーをドリップ用のフィルターへと移した。
 かぐわしくも苦い苦いコーヒーに、私達親子は口元を歪めた。

 ここへ引っ越してきた理由は私にある。


 私の高校の担任、徳永先生は、一昨年亡くなったママの元教え子だ。こちらは記憶にないが、まだ中学生だった私を葬儀のとき見かけたと、彼は言っていた。

 先生と最初で最後のお出かけをしたのは、春の休日。私が発足した『海を眺める会』初の課外活動であった。顧問もいないたった一人の部活動を運営する私を不憫に思った先生が、『引率』の役目を買って出てくれたのである。

 生まれて初めて乗った江ノ電は、海外からの観光客でパンパンになるほど混んでいた。一両目の車内で日本語を話していたのは私達ぐらいだったと思う。
 長谷駅で降り、御霊ごりょう神社から坂ノ下へ少し戻って海へと出た。
 ウィンドサーフィンのカラフルな帆が、向こうの方にたくさん浮かんでいるのが見えた。

「水沢さんは、なぜこの海に来たかったの?」
「写真があるんです。私がまだ三歳の頃、家族で訪れたそうなんですけど、私には記憶がなくて」
「そうだったのか」
「この写真です」
 徳永先生は写真をしばらく見つめ、というか、たぶん若き日のママを見て、少し潤んだ瞳で顔を上げた。目の前の景色と見比べる。
「向こうに逗子マリーナが見えるから、この角度から撮った写真かな?」
「はい。ちょうどこの辺りかと」
 我が部初の課外活動の記録として、海岸で犬と散歩していた人を呼び止め、スマホで写真を撮ってもらった。
 私も先生も直立したままで特にポーズはとらなかったが、良い記念となった。

 しかし、のちにその写真がきっかけで、校内に根も葉もあるが事実ではない噂が立ってしまったのである。


 今思えば私が迂闊うかつだった。
 『海を眺める会』の活動として堂々と手製の新聞にでも載せたのならまだよかったのかもしれない。スマホの待ち受けにしていたところをクラスメートに覗かれてしまった。

 私もなぜ待ち受けなんぞにしていたんだろう。よくよく胸に問いかけてみる。
 どうやらすごくうれしかった。ママとの繋がりで特別扱いしてもらえたのはわかっていたが、それでもうれしかった。
 しかも知らぬ間に私は徳永先生に恋していたらしい。恋愛経験もない私のような地味女が信じられないことだが。

 徳永先生は事前に引率の届けを出していたので、他の先生方は「くだらない誤解だ。騒ぐんじゃない」と生徒達を一喝した。
 しかし、クラスメート達の好奇の目は私を捉えたまま。男子から投げかけられる汚らわしい言葉には虫酸が走った。
 徳永先生は鋭く目を光らせ、私が攻撃されているのを見つけると飛んできて彼らを黙らせた。
 そんな姿を目の当たりにし、図らずもますます先生のことを好きになっていった。

「歴史は繰り返される」と誰かが言った。教室内で聞こえよがしのひそひそ話が私の耳に届く。
「徳永先生って水沢さんのお母さんの元教え子だったらしいよ」
「へえ、親が教師なんだ」
「しかも徳永先生、水沢さんのお母さんとつき合っていたんだって」
「うっわ、鳥肌立った!」
「これまた禁断の!」
「不道徳極まりないよね」
 驚きといびつな笑い声がさざ波のように拡がってゆく。私はたまらず教室を飛び出した。

 その晩、徳永先生が私の家を訪問した。
 そしてことの経緯を父同席のもと説明し、謝罪した。先生が謝ることなどひとつもないのに。ただ、先生も馬鹿がつくほど正直なので、言わなくてもいいことまで言ってしまった。

「水沢先生とは誓って教師と教え子の間柄で、一方的にぼくが憧れを抱いていた。それだけのことです」
 それを聞いたパパの眉がピクッと動いた。
「それに、萌音さんとの噂も全くの出鱈目です。ぼくの配慮が足りなかったばかりに、お嬢さんに辛い思いをさせてしまい申し訳ありません」
「先生は悪くありません」
「水沢、先生は秋になったら婚約者と結婚する。だから、このおかしな噂もきっとすぐ治まるはずだよ」
「……」
「なるほど。そうですか。ご丁寧にどうも」
 そう静かに答えるパパの横顔は、微笑んでいるのにゾクッとするほど怒りをたたえていた。

 その日から私は眠れぬ夜を過ごしている。
 
 夏休みも近いので、もう学校へは行かなくていいとパパから言われた。そして、あれよあれよという間に転校手続きがなされ、縁もゆかりもないこの街に引っ越してきたのである。


「ふうん、萌音が眠れない理由はそういうことだったんだね」

「……………おや?」
 誰だ? 私の回想に感想を述べるこの声は。

「ここだよ」

 声のする方を見ると、お庭の池に人が浮かんでいた。少年だ。睡蓮の葉の上に両足をのっけている。
「よく沈みませんね」
 不思議に思ったので、聞いてみた。
「あ、こういうシチュエーションに免疫ある人?」
「ないですよ?」
「すごい落ち着きようだ」
 褒められた。

 落ち着くも何も、眠くて眠くて、でも眠れなくて。頭は割れるように痛いし、時々ふわ~っと数秒前の記憶が飛んで、夢と現実の区別もつかなくなっている。

「ぼくは『睡魔』だよ」
「『睡魔くん』」
「もう受け入れてる……すごいね、きみ」
 また褒められた。パパ以外からはあまり褒められないのでちょっとうれしい。『すいま』って、あの『睡魔』で合ってるのかな。

「眠りたい気持ちはあるの?」
「……よくわからない」
「なぜ?」
 青白い少年の整った顔が目の前に近づく。クンクンと無遠慮に私のおでこの辺りを嗅いでくる。
「そろそろ眠らないと、死んじゃうよ?」
 やはり『睡魔』で合っているみたい。私を眠りに誘おうとしているもの。

「眠るのが怖いんだね、萌音は」
「怖い。そうなのかな?」


 学校を飛び出した日、すなわち先生が我が家を訪問したあの晩。私はなかなか寝つけず、真夜中、キッチンの戸棚を漁っていた。こんなとき大人は寝酒を飲むのかもしれないが、私は未成年ゆえ。ならば料理酒はギリセーフ? などと思いつめながら探した。

 ふと振り返ると、食器棚のガラス扉が私の姿を映し出していた。その棚は、ママが集めたティーカップが並ぶ趣味の戸棚だった。
 中にはカップだけでなく、海外旅行のお土産で買った植物柄のティーコージーやピーターラビットの陶器人形なども飾られている。そして一番手前には、お菓子の缶がずっと未開封のままで置かれていた。

 思わず手に取る。平たい円柱型の銀色の缶……。蓋には水玉模様のシールが貼られており、英字で『ウィスキーボンボン』と書いてある。
 賞味期限はとっくに過ぎていたが、私はすがる思いでその缶を開けた。

 半透明の薄い包み紙を開くと、白、ピンク、スミレ色、そしてエメラルドグリーンの小さくて丸い粒々が現れた。
 妖精の国の真珠か何かかしら? と思うくらい可愛らしい。

 一粒口に含む。前歯が触れ、カシュンと繊細な砂糖の膜が砕けると、中から液体が溢れ出て、異国のお酒がくっきりと香った。
 しばらく放心したのち、今度は無心になって一粒一粒摘まんでは、自分の口に押し込んだ。
 潰されてゆくお砂糖のシャリシャリ感とウィスキーで口の中がいっぱいになる。ゴクンと飲み込み、缶の中身が半分になったのを見て、なんとも言えぬ罪悪感が湧いてきた。
 我に返った私は、この痕跡を隠滅すべく丁寧に包み紙を被せ、蓋を閉めて元の場所に戻した。


 その夜見た夢は、悪夢と言って差しつかえなかった。

 なぜか私は子どもで、おいおい泣いている。
 パパは書斎から出てこない。荷物をまとめたママは、若い男の腕に自分の手を絡ませてまさに家を出る場面だった。
 およそ記憶の中のママからは想像できない行動だが、私はもう一方の腕にぶら下がりながら必死にママを引き止めようとしていた。
 ママを連れ去ろうとする男の顔はぼやけていたけれど、私は「先生のバカちんが~!」と叫びながら目覚めた。

 眠れなくなったキッカケを思い出し、ますますどんよりしてくる。緑に埋もれて咲くタチアオイの花が、今や眩しい。
 少年の声が微風とともに語りかけてきた。

「ぼくら『睡魔』ってのはね、殆どの場合はいいヤツなんだよ。『眠り』は生きるもの達へのギフトだから」
 
 少年はまた睡蓮の葉の上に立っている。

「でもね、受け取る側……特に人間は、覚醒時の心身の状態の影響を受けやすい。そんなときに未熟なヤツや悪戯好きの『睡魔』に眠りへ突き落とされると、とんでもないタイミングに眠って事故を起こしたり、ひどい悪夢を見てしまう。萌音の場合もおそらくそれだ」

「私に睡魔くんの姿が見えているのは……夢なの?」
「これは夢とはまた別物。なんなら、この場所に萌音達を導いたのはぼくだよ」
 パパがここを見つけて私達が引っ越してきたことが、睡魔くんの導き、ということ? でもどうしてわざわざそんなことを?
「眠りはね、死後の世界にも繋がっているのさ。だからね、これはぼくからのギフトであると同時に、向こう側からの切なる祈りでもあるんだよ」
「祈り……」

「萌音、眠ることは怖くない。でも、きみの心と体は眠ることを拒絶している。そうなると、きみ自身の力も借りなくては、このギフトを正確に届けられない」
「私、何もできる気がしない」
 眠くて気持ち悪いし、かといって目を閉じても吐き気がする。このまま少年の言うように『死』が訪れるならば楽に眠れるかもしれない。
 すると、やや怒気を含んだ声で彼が言い放った。
「そんな考えは捨てろ」
「わっ!」
 気づいたら、少年は瞬間移動して池の縁で棒立ちになっていた私の頭をガシッとホールドしていた。その間、これも彼の能力なのか? あるイメージを私の頭に直接注いできた。
「いいかい? いま見せたことを、今からきみがやるんだ」

 睡蓮の花がぼうっと発光している。それもゆっくりと点滅するように。

 彼から伝えられたイメージのとおりにするって、すなわち私がこの池に飛び込むってこと?

「もうすぐ夕刻だ。睡蓮の花は閉じ、やがて水中へと花を沈めてゆく。そのいくつかには、『水玉みずだま』が実る」
「『水玉みずだま』?」
「見つけたら見つけた分だけそれらをどんどん収穫して、食べてゆけ」
「食べて平気なものなの?」
「『水玉』は萌音に食われるために実るのだから、当然食べられるよ」

 空が毒々しいピンクからバイオレットへと移り変わり、薄雲の陰影が濃くなる。そうこうしているうちに、群青色の屋根の裏側へ太陽が隠れた。

 それを合図に、池の睡蓮が一斉につぼんで水中へと頭を沈ませていった。
 まだ全然心の準備ができていない。

「私、泳ぎは昔から得意じゃないの、それに……」
「もう! ここまで舞台を整えたんだぞ! あとは萌音の覚悟次第でちゃんと上手くいくんだ。怖がるな! 躊躇ためらうな! 全力でギフトと祈りを受け取りにゆけ!」

 ドンッと背中を押され、私は悲鳴とともに睡蓮の池に落ちていった。ゴポゴポという水音に混じって、お家の方からパパが私を呼ぶ声が聞こえてきた。



 ある深さまで潜ると、水の中の世界はヒンヤリとした静けさに包まれていた。時折細かい泡が底の方から上がってくる。
 そしてなぜか地上と変わらず呼吸できる。なのに髪はゆらゆら水草と同じリズムで揺蕩たゆたっているのが変な感じ。

 睡魔くんの言っていた『水玉』を探すが、沈んだ睡蓮の花達は沈黙したまま。
 
 眠りが死後の世界にも繋がっているという睡魔くんの言葉を信じるならば、もしかしたらここは境目の空間なのかもしれない。そんな気がした。だって、妙に心地好い。
 暢気な感想をいだきながら沈んでゆくと、頭上で何かがぼんやりと光った。ゆっくり上を向く。するとそこには、幻想的な光景が広がっていた。

 睡蓮のつぼんだ花のいくつかがまあるく発光している。
 白、ピンク、スミレ色、そしてエメラルドグリーン。なんて美しいのだろう。点々と灯り、まるで星座のよう。そうか、これが『水玉』……。

ハッ!

 見とれている私の真横を、何かがものすごい勢いで通り過ぎた。
「アマガエルだ!」 
 鋭く後ろ脚を蹴り、水面方向へと上がってゆく数匹のアマガエル。呆気にとられて見上げていると、アマガエル達はせっかく実った『水玉』をビヨ~ン…パクッ、ビヨ~ン…パクッと舌を伸ばして絡めとり、丸呑みにしていった。

「やめて~! それは私の『水玉』なんだから~!」

 慌てて水を掻く。溺れているかのような不様なフォームで這い上がり、我も負けじと白い『水玉』を摘み取る。
パクッ、シャリシャリ……
 次はピンク、次はスミレ色、えいやっ!とエメラルドグリーン。実ったそばから、アマガエルに先を越される前に『水玉』を口に含んでいった。

 噛み砕いて飲み込む度、私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。水中なのに涙が頬を伝ってゆくのがはっきりとわかる。

「ママ! ママ! ママ!」


「上手上手、ちゃんと泳げてるじゃない」
 柔らかい手の感触。

 パシャ パシャ パシャ

「萌音、そろそろ手を放してごらん」
 パパの声だ。その言葉に反発するように、私はつかまっている手をギュッと握り直す。
「大丈夫、放さないから。ほら、足バタバタしてごらん」

パシャン パシャン パシャン

 水面から顔を上げ、繋いだ手を確認する。ばた足から生まれる飛沫しぶきが元気を取り戻し、自分の頭にも水が降りかかる。

 沖の方ではカラフルなウィンドサーフィンの帆がいくつも走り、海岸ではボーダーコリーとダルメシアンが楽しそうに戯れ、それぞれの飼い主も笑っている。

 ここは鎌倉の海か。

 小さな私は、ママの手と自分の手がしっかりと繋がれていることに安堵し、満面の笑みでママの顔を見上げた。
「萌音それ頑張れっ! 萌音それ頑張れっ!」
 私のばた足に合わせてママが調子をつける。うれしくて私はもっともっと大きく水飛沫を上げる。ほんのり日焼けしたママも、私を見てうれしそうに笑っている。

 このまま逗子ずし海岸や葉山の方まで、パシャパシャと波打ち際をなぞりながら泳いでいけるのではないか。
 そうすれば私は、ママの優しい手の感触をずっとずっと憶えていられる。そんな気がした。
 


 木製のプロペラが、緩やかな速度で回っている。目が覚めて最初に見えたのは、リビングの天井だった。
 私はソファから体を起こし、んいぃ~~っ! と、絞るように伸びをした。キッチンから漂ってくる淹れたてのコーヒーの香りを吸い込む。

 こんなに健やかで満ち足りた気分の目覚めはいつ振りだろう?

 パパが作ってくれたツナチーズオムレツ。三ツ星レストランか? と思うくらい美味しい。
「萌音、よく眠れたみたいでパパうれしいよ」
「ずっと心配かけて、ごめんね」
「いいんだよ、そんなことは。パパは朝からご機嫌なのさ。萌音はぐっすり眠れたし、パパはパパで、久しぶりに夢にママが出てきたんだ」
 パパも? 実は私も……と言おうとしてやめた。
 私のは夢というより『幸せな記憶』といった方がしっくりくると思ったから。

 朝食後、パパとお庭の池まで一緒に歩いた。
 真新しい顔で睡蓮の花が咲いている。
 もちろん、少年の姿はない。

「眠りはギフト」そして、私に届けられた「向こうの世界からの祈り」。少年の言葉を思い出す。

「ご覧、萌音。モネの池は今日も美しいな」
「そうね、さすがモネの池だわ。まるで絵画の中にいるみたい」

 ポチャンと水音が響く。

 ハッとしてピンクの睡蓮に視線を移すと、お腹のあたりをぼんやり光らせながら、小さなアマガエルが池の中へと潜ってゆくのが見えた。



~おしまい~

《本文7,699字(ルビ含む)》


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀


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