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リカルド ~月~ 第9話【物語】

 私の生まれた家は、小さな村の一番奥にあったと記憶している。さらに小路の先には樺の木立や湖があり、反対側の村の中心部は小さいながらも活気があって、不便のない程度に商店が並んでいた。
 街道を2キロほど行くと鉄道駅もあったので、父のルイスが大学へ通うにも困らない。植物学を研究するためのサンプルがいくらでも採れる自然も横たわっていた。

 両親と私の3人暮らし。週末には伯父のリックが土産を持って訪ねてきてくれる。今振り返ると、とても満ち足りた子供時代であった。

🌜️


 オリビア・グレイと名乗る若い女性は、あの晩から学校帰りの私を待ち伏せるようになった。人目を避け、木々に囲まれた森の小路を通り抜ける短い時間だけ歩きながら話した。

「リオ、学校は楽しかった?」
「はい。あの、ミス・グレイ…」
「私のことはオリビアって呼んで」
「…オリビアさん。ぼく、あなたの力にはなれません」
「なぜそんなことを?」
「本当は、新聞記者か雑誌の記者ですよね?」

 私はまだ彼女のことを疑っていた。ミス・グレイは悲しげに溜め息をついた。

「あんな初対面だったんですもの。警戒されても仕方ないわね」

 こうして毎日待ち伏せするのも十分じゅうぶん怪しいです。と、心の中で付け加える。

「あのね、リオ。私はあなたのご両親にとてもよくしてもらった。だから、お二人がクルーズ船と一緒にいなくなってしまった事件を調べているの。ごく個人的に」
「何とでも言えます」
「地球上のどこかにいるはずの人達が、何の痕跡も残さず消えてなくなるなんてことあると思う?」
「あなたも神隠しだとか言いたいのでしょう」
「馬鹿げてる。私はハミルトン教授の教え子なのよ?そんなオカルトじみた解釈などするものですか!」

 彼女から離れたい一心でキツい言葉を投げかけた私に、オリビアは毅然と返した。私は口の中で「ごめなさい」と小さく呟いた。

「あなた、自分の生まれ育った村にはあの事件以来帰っていないの?」
「うん。ぼくひとりではどうやって行けるのかもわからないし」
「そう、それじゃあ今度私と…」

「リオ!」
 
 リックの声が背後からした。振り返ると、森の入口で手を上げている。オリビアの頬がこわばり、ピタッと立ち止まった。私は帽子のつばを軽くつまんで彼女に会釈してから、リックのいる方へと駆け戻った。

「やあ、元気にしてたかい?リオ」
「リック!」
「一緒にいた女の人は?お屋敷に案内するところ?」
「違うよ。あの人は…」

 そう言いながら後ろを向く。しかし、先ほどの場所に姿はなく、オリビアはすでに森を抜けてしまったようだった。

「とてもおかしな人なんだ。父さんの教え子だって自分では言ってたけど」
「ルイスの大学の?」
「植物学の合宿でぼくと会ったことがあるらしいの。でも、ぼくはまだ小さかったし、どんな人が来たのかもよく憶えてなくて…」

🌛


 私はリックとアイビー奥様が一緒にいるところをあまり見たことがない。
 当時はさほど不思議に思わなかったが、ふたりは幼馴染みなのになぜか顔を合わせようとしない。私を通じてお互いの近況を把握しているような、まどろっこしいことをしていた。
 リックも毎月私の様子を見に近くまで来るのだし、お屋敷に顔を出すくらいどうってことないだろうに。

 また、他にも気になることがあった。
 アイビーさまが一晩だけ行方をくらましたあのときから、お屋敷を流れる空気が微妙に変化した。

 祖父のリカルドは、何かと気遣わしげに奥様に御用を伺おうとするのだが、アイビーさまは心を閉ざしたようにあまり口を利かなくなった。
 また、私に対しても、ふたりの態度はぎこちなくなっていった。まるで訳がわからず、私は何か彼らの気に障ることでもしてしまったのだろうかと悩んたが、思い当たることがない。
 いくら考えても答えは出ないので、お屋敷にいる間はローズマリーさまのお相手に専念した。


 そんな状況だったからか、オリビアが消えた森の小路のお屋敷方向からアイビーさまが現れたとき、私はいささか戸惑った。
 アイビー奥様は、金糸の刺繍を施した白い日傘をさし、白のサマードレス姿だった。木々の隙間から光の筋が降りてきて彼女を包む。

 私はリックの横顔を見上げた。
 リックもまた、アイビーさまから目が離せないでいた。
 やがてふたりはお互いに歩み寄り、光の中に達すると、リックがひざまづいて奥様の手にそっと接吻する素振りをした。奥様は口元だけで微笑み、すぐに手を引っ込めた。

「あの…ぼくは帰ります」
「ここにいていいのよ、リオ」

 あまりの気まずさに早くこの場から去りたい私を、アイビーさまは引き止めようとした。

「リオ、三人でドライブしよう!」

 すると、リック伯父が思いがけない提案をしたので、私は驚いてふたりの顔を交互に見た。同時に、祖父を車に乗せて颯爽と走ってゆくひと月前のあの光景が思い出され、私の胸は高鳴った。

「…ぼくも行っていいの?」
「もちろんだ。乗せてあげるって、約束しただろう?」
「ローズマリーさまは、ぼくのことを待っているのでは?」
「大丈夫。ローズマリーはエミリーと一緒に牧場へ羊の赤ちゃんを見に行っているから」

 いいのかな、祖父にあとで叱られないだろうか。でも…。アイビーさまがいいとおっしゃっているのだし…。
 逡巡するポーズをしたが、私の心は決まっていた。こんな誘惑、抗えるわけがない。
 それに、もしアイビーさまが何か誤解しておられるのなら、ゆっくりお話できる良い機会だとも考えた。

 私達は街道に停められた濃紺の車に乗り込んだ。
 不思議な組み合わせの三人だし、どこへ行くのかも聞かされていないけれど、何か素敵な予感がしていた。

🌜️


 しかし、無邪気な子どもでいられる日々は、刻一刻と搾り取られてゆく。カラフルだったはずの世界はやがて黄土色に濁り、知らなかった頃の自分には戻れない。
 その瞬間とは、一体どの時点のことだったのか?



🌜️ to be  continued… 🌛

 


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