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梅林ガール 【物語】

 じいちゃんの棚にあるフィルムカメラと目が合った。家族の誰にも触らせなかったカメラ。
「じいちゃんが死んだら、カメラはみぃくんにあげる」と言っていたのをみんな知ってたので、暗黙の了解で、それはぼくのものとなった。
 
 カメラの扱い方はひととおりじいちゃんから仕込まれていた。撮影に出かけると「みぃくんも撮ってごらん」とカメラを貸してくれたりもした。

 ピントを合わせてレバーを回し、カシャリとシャッターを押す感触が、父さんのスマホカメラや母さんのデジカメとも違っていて、ゾクッとしたのを憶えている。
 その震えは、目の前の命や景色の一瞬の残像を、自分のために分けてもらうイメージから起こるものだった。

📷️

 じいちゃんの四十九日法要と納骨があった次の週末。

 ぼくは、教わったことを思い出しながらカメラにフィルムを装填そうてんした。
 そして、この時期ふたりでよく訪れた思い出の梅林へと、ひとり自転車を走らせた。

🚲️

 覚悟はしていたけど、梅を鑑賞する人達で駐車場も道も大混雑していた。梅林にある茶屋のおばさんがぼくに気づき、裏に自転車を停めさせてくれた。

「去年金賞獲ったおじいさんの写真。ポストカードになって梅祭りで販売されているわよ」

 店内に飾られた梅林の写真は歴代の受賞作だ。その中に、いくつかじいちゃんの撮ったものがある。

「じいちゃん、きっと喜んでると思います」

🍵


 けぶるように咲き誇る紅梅、白梅。視線を近くの梅に移すと、花の蜜を吸うメジロが見え隠れした。

 ぼくは混雑を避け、梅林の奥へと分け入った。丘の向こうの傾斜は、たぶん地元の人しか知らない。見つけても、他所の敷地と繋がっているように見えて踏み込む人はいないから穴場なのだ。


 柔らかな青い空に重なる紅梅。薄雲がとれて陽の光が花を鮮やかに魅せる。

 この一瞬をぼくにも少し分けてね。そう頭のなかで唱え、シャッターを切る。

 上手くできたような気もするが、現像されるまではわからない。
 ただ、フッと風がぼくの体を包んで支えるような感覚があり、カメラを首から下げたまま、しばらくぼんやり立ち尽くしていた。


「その梅の木ね、私の祖母が植えたの」
「えっ?」

 突然の声に驚き振り返るぼく。その声の主が紅梅の枝から顔を覗かせた。
 切り揃えられた前髪。黒目がちな瞳の女の子。ぼくと同い年くらいだろうか?

「ここに祖母がお嫁に来た頃にね、町の人達と梅の苗を植えたんだって。表側の梅林は大昔からのだけど、ここ一帯の梅は少し若いの」

 彼女から目が離せなかったぼくはハッとして、改めてこの紅梅を見上げた。

「三年前、ここであなたのおじいさんに写真撮ってもらったよ」

 そう言ってふわっと笑う彼女。梅の薫りを乗せたゆるやかな風が鼻先をくすぐる。ぼくはその笑顔に見覚えがあった。

「あ、ひょっとして…」

 茶屋に飾られた過去のじいちゃんの受賞作に、老婦人に支えられつま先立ちする少女が、紅梅に顔を寄せている写真があった。

「おじいさんにまた会いたかったな。私の祖母も、先月亡くなったんだ」

「ぼくのじいちゃん…」

「うん。茶屋のおばさんから聞いたよ」


📷️

 まだ生きているような気がした。棺に入っていても、お坊さんがお経を唱える間も。
 だけど、翌日火葬場へ行くことを思うとすごく不安になり、こっそりじいちゃんの顔を写真に撮った。

 直後、人の気配がして、ぼくはパニックに陥った。葬儀社の人だった。

「ごめんなさい!あの、ぼく…」
「驚かせてしまってごめんなさい。忘れ物がないか確認しに来ただけですので」
「あの…」
「大丈夫です。あなたがおじいさまのお顔を写真に残したいのなら、そうしてください。謝ることでは決してありませんよ」

 そう言って、その人は家族にぼくが遅れて来ると伝えてくれた。

 気持が落ち着いたぼくは、棺の中のじいちゃんを覗き込んだ。

「じいちゃんの残像をぼくに少し分けてね。じいちゃんと過ごした時間を、忘れたくないんだ」

 思えば、じいちゃんには写真を撮ってもらってばかりで、じいちゃん自身が写っているものは数えるほどしか残っていなかった。

🍃


 ぼくと彼女の間を通り抜ける紅梅の薫り。

「私、不思議なの。祖母が亡くなっても、この紅梅はこうしてまた今年も咲いたでしょう?あなたのおじいさんが撮ってくれた写真の中でも、祖母は笑っている。
おばあちゃんの残像を色んなところに感じるから、まだ生きてるんじゃないのかな?って思うことがあるの」

「同じだ。ぼくもだよ。カメラを構えてシャッターを切るとね、じいちゃんがぼくの中にいて、ぼくを通して写真を撮っているんじゃないかって錯覚するんだ」

「そっか…よかった。私だけじゃなかったのね」
「うん、ぼくもきみに喋ったら、腑に落ちてきた」

「話せてよかった」
「うん。ぼくも」
「ありがと、みぃくん。じゃあね、バイバイ」

 黒い瞳がキラキラと揺れ、彼女が肩の辺りで小さく手を振る。

「えっ?待って!どうしてぼくの名前……」
「またここで会えたら教えてあげる!」


 薄紅色のスカートが翻り、紅梅の小枝に触れて花が揺れる。
 瞬間、ぼくは急いでカメラを構え、駆け出す彼女の後ろ姿に向かって夢中でシャッターを切った。


~おわり~
〈本文2097字〉


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🍀

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