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UNTITLED REVIEW|言葉を侮る勿れ

フィクションの中に潜むメタファーやアイロニーから示唆を得るのではなく、もっと端的に、さらに究極を言えば、何気なく開いたそのページから啓示を受けるような本を探していた。曲がり角を曲がった先で不意に誰かとぶつかりそうになったときみたいに読む者を瞠若たらしめる本。

そのような本を求める理由はいたって単純で、社会生活を送る中で起きる心の揺らぎに自己嫌悪することが多いから。それは利己的な者あるいは道理をわきまえない者への不必要な怒りであったり自身の中にある名誉に関する空しい虚栄心であったり。そのこと自体は、社会に身を晒す限り、避けられない現実ではあると思う。鉄と空気中の酸素と水分とが化学的に反応してその表面に赤錆ができるみたいに。

ただ、錆はそのまま長いあいだ放置すると、表面から内部へと浸食が進み、ついには鉄全体をボロボロにしてしまう。だから、日常的にその錆を取り除くことが必要だと考えた。でも、他のものに転嫁したり、自身の外側へと放出したりする行為だけでは、たぶん根本的な解決にはならない。恐らくそれは、心の内に深く沈潜した哲学的思索によってこそなされる。

*

そんな経緯もあり、近頃は鞄の中に一冊の文庫本を忍ばせている。その中身は、とある時代のローマ皇帝が折りにふれ書きとめていた、心に浮かんだ自省自戒の言葉を手記として編纂したもの。本書は、古今を通じて多くの人の心の糧となってきたとされる。僕は、皇帝という立場にありながら政務や戦争に勤しむことよりも、本来は読書や瞑想に耽ることのほうを望んだであろう人物が残した言葉というところに強く惹かれた。

この本に収められた言葉から受ける印象は、新たな知見を得るというよりも、心の奥底には元から存在するのに、見て見ぬふりをしていた思想があらためて立ち上がってくるといった感覚のほうが近い。だから、心が荒む時、それとなくページを開いて、ふと視線を落とした先にある言葉をひとつ拾う。するとたちまち自戒の念が込み上げてきてその言葉を咀嚼し終えたときには、僕の中に吹きすさぶ風は止んでいた。言葉の力を侮る勿れ。

周囲の事情のために強いられて、いわばまったく度を失ってしまったときには、大急ぎで自分の内にたちもどり、必要以上節度から離れていないようにせよ。たえず調和にもどることによって君は一層これを支配することができるようになるであろう。

第六巻十一章より


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