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【スーツ考】時の洗礼

ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。

村上春樹『ノルウェイ森』より


間に合わせの知識で模試に挑んだものの、帰宅した直後にあの解答でよかったのかと急に不安を憶えて、本棚から参考書を引っ張り出し、答え合わせをする。オーダーしたスーツの完成の報せが届くまでの1か月半はまさにそんな心境だった。欲しいスーツのディテールやオプションをおおまかに頭の中に詰め込んで意気揚々とテーラーへ足を運んではみたが、スーツをオーダーメイドで作ろうと思ったそもそものきっかけは、今の体型にジャストサイズのものをとりあえず一着、手に入れたいと考えたに過ぎず、スーツのルールを細部まで把握しているわけではなかった。


かくして僕は、スーツ完成までの間に何度も見聞したネット上の動画共有サービスやウェブサイトに投稿されているスーツスタイルに関するうんちくに自身のリテラシーの無さを気づかされ、すっかり意気消沈してしまう。だが、人生万事塞翁が馬。トラウザーズにタックを入れなかったことは多少悔やまれるが、その他のディテールやオプションの選択に間違いというほどの箇所はなく、結果的には当初から望んでいた、見た目の印象がカチッとしていて重厚感を感じるブリティッシュ・スタイルのスーツに概ね仕上がった。

でも、トラウザーズは今お直しに出している。ベルトループなしのアジャスター仕様にしたからウエストの設定がよりシビアになってしまった。これまでのスーツは若干ウエスト周りに余裕を持たせて、ちょうどいいサイズにベルトで調整していた。それに、化学繊維を含んだ混紡生地のストレッチ性に甘えていた部分もある。だが、羊毛のベルトレス・トラウザーズではそれが難しい。スーツを新調する上でサイズをフィットさせることが最重要事項だというのはわかったが、その点においてはジャケットよりもトラウザーズの作り込みのほうが難しい気がする。

ビジネスではどのようなスーツスタイルが世界的なスタンダードなのかや、最低限揃えるべきアイテムはどれかなど、スーツスタイルのリスキリングに最適な書籍はないかと考えていたときに見つけた『教養としてのスーツ』。国際協力事業に長年従事してきた著者はその本の中で、海外での業務や駐在の経験から学んだ国際的なスーツのルールやマナーを説き、スタイルについては、トレンドを追うのではなく、スーツ発祥の地イギリスの伝統(時の洗礼を受けたもの=クラッシック)を重んじるべきと主張する。その内容はスーツに関する記述に留まらず、シャツの選び方やスーツに合わせるべき靴、鞄や時計などの小物類に関するルールにまで話が及んでいて、とても網羅性が高い。もう少し若い頃に出会いたかったな。そんな思いに駆られる本である。






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