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UNTITLED REVIEW|題名のない書評

昨日の朝6時過ぎ。わざわざ早起きして出かけてきた割には意外に閑散としている店の前で、僕は開店の時刻を待った。目指すものが手を伸ばせば届きそうなところにあるのに、それをさせまいとするグリルシャッターに心の中で毒づきながら。

数年ぶりに新刊が出るのは知っていた。だが、すぐに買うつもりはなかった。二日前まで最新刊だった作品をまだ読み終えていないこともある。僕はデビュー作から順を追ってここまで読み進めてきたから。でも一番の理由は、もはや俗化した印象さえ抱かせるほどの世間からの圧倒的な支持に少し嫌気が差した。テレビやSNSが取り上げたことで元々そこにあった静寂が失われてしまった馴染みの喫茶店から足が遠のくみたいに。

心変わりしたのは前日の夜。何気なくたどり着いた特設サイト上の「試し読み」と書かれた扉の先にあった新しい世界の始まりで、主人公たちの言葉に忘れかけていた物語の記憶が喚起された。高い壁にまわりを囲まれた街。針のついていない時計台。小さな古い図書館。そして、そこで夢を読むぼく。これは前日譚なのか、それとも後日譚なのか。あるいは世界観を共にする新たな旅の始まりなのか。そんなことを考え出すと、居ても立ってもいられなくなった。でも、その時間にそれ以上のできることはない。他にあるとすれば、目覚まし時計のアラームが鳴る時刻をいつもより少しだけ早めることぐらいだ。

昨日の朝に手にした本に限らず、同じ題名を持つ小説は誰が読んでも同じ人物が登場するし、同じ物語が書かれている。そのことは、SNSの海に漂っている、本の感想を謳いながら実際にはただ単に物語の表層をトレースしただけの複製画のような文章の数々を見ればわかる。でも、本が発する声やその響きは、人によって聴こえ方が違うんじゃないか?と近ごろ考えたりする。だから、自分が読んだ本に対する想いを吐露する際に題名を記してもあまり意味がないとも思う。別の誰かが僕の読んだ本と同じ題名の本を読んだところで聞こえてくる本の声風や論意はきっと違うはずなのだ。日の傾きによって移ろう影みたいに。

しかし、蜘蛛の巣の上に住む機械じかけのカストーディアルは、たとえそれが地球の裏側にある石畳の上でつぶやかれた本への称賛であろうと、向かいのホームで電車が来るまでの間に書き込まれた自らの彗眼の無さを棚に上げた本に対する不満であろうと、特定の同じワードが最後に付与されていれば、同一の属性として根こそぎ紐付けてしまう。この意図せぬ繫がりに思いもかけず心が動くこともなくはないが、その多くは失望を運んでくる。壁のない世界は素晴らしい。誰かがそう叫んでいた。本当にそうだろうか? 僕はこの状況が疎ましい。だから、本への想いを綴るときに題名を明かさないことにした。他意はない。壁の内側にいる本物の自分を守りたい。ただそれだけ。

The key to the title





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