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雑文|Anniversary 花束を君に贈ろう

大切に想う人の好きな花を知る者は世の中にどれほどいるのだろう。毎年のこの時期になると街のいたるところで目にする「Valentine's Day」の文字を見てそんなことを考えていた。僕が妻の好きな花を知ったのは偶然だ。付き合い始めたころの何気ない会話の中で彼女がふと口にした。それ以来、記憶に留めてる。男同士の雑談において花の名前が出るなんてことは、ほとんどないから誰かに誇れるほどの話なのかはわからない。

でも、結婚を機に妻が退職すると知った彼女の同僚が「最後の出社日に花を贈りたいの。彼女の好きな花なんて知らないよね?」と、僕に訊ねてきたのであっさりと答えたら驚いた顔をしていた。だから意外に珍しいのかもしれない。昔から妻はプレゼントされることに気兼ねする。気づけば毎年の記念日に控えめなショートブーケを贈っていた。花屋の店先にはいろんな花が並んでいるけれど、主役はいつも同じ花。

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昨年もクリスマス・イルミネーションが街全体を彩り始める頃にフラワーショップへ足を運んだ。彼女の好きな花が咲く本来の季節は春なので、その時期の市場にはほとんど出回らない。一昨年は花屋を四軒まわってやっとみつけた。このことを会社でつい口を滑らしたら、娘くらいの年齢の女性スタッフに「愛だ!愛」と冷やかされてしまった。でも、そういうことじゃないんだよな。言葉にするのは難しいけど。

その花は毎年のように新品種が生み出される。一説によると、今では五百種類以上とも。花の大きさや花びらの形状もさまざま。どのような花が入荷するかはその時々の季節や天候によっても変わるそうだ。だから実際に店頭に並んだ花を見るまでは色も形もわからない。だけど心から惹かれる花に出会うこともある。池澤夏樹の『きみのためのバラ』の主人公が、きらきらとした黒い目の少女に贈るためのバラを偶然見つけたみたいに。

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店頭でメインキャストとなる花の名を告げると大抵の場合は店員さんから予算などを訊ねられる。その際は用途や花の長さとか、贈りたい花束のイメージを詳しく伝えて、予算に関しては概算程度に。それが終わると今度は彼女たちのほうから、主役を活かすためのバイプレイヤーとしてアレンジに加える花や葉物の提案がある。基本的にはイメージ通りの花束ができることを優先。作り手のセンスや想像力を阻害したくないから金額にはあまりこだわらない。

ブーケの仕様が決まれば三十分程度の時間を空けて再度来店するように促されるのだけれど、受け取りに行ったときに手渡される花束の入った紙袋を覗き込んだ瞬間の驚きと感動が僕は好きだ。妻に花を贈る際のもうひとつの楽しみ。フラワーアレンジメントに店員さんそれぞれの個性が垣間見えておもしろい。予算だけを伝えて、あとは適当に見繕って!というオーダーの方法もあるとは思うけど、なんだかもったいない気がする。居酒屋じゃないんだから。主役を自分で発掘するからこそ完成した作品に愛着が湧くというもの。まるで自らが監督を務めた一本の映画が完成するまでの過程みたいだな。そんな思索に耽る今日この頃。





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