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UNTITLED REVIEW|本は異端を魅す

いつもよりも乗り降りする人が少なく感じる最寄り駅のホームに降り立った時、誰かの視線のようなものを感じて夜空を見上げたら、視界の端に上弦の月がいた。綿紗を被せられたように白く霞むその月をただなんとなく眺めていたが、風が雲を払い、白磁の如き横顔が露わになると、今度は月面に広がるライトグレーの海に、ふと頬の翳りを思い浮かべた。不意に、見てはいけないものを見てしまった瞬間のような感情を抱いた僕は、慌てて地上に目線を引き戻す。

仕事帰りに夜空を仰ぐなんて珍しい。たぶん、次の日から始まる連休に備えて、普段なら翌日に回す仕事も無理をして片付けてきたからだ。気づけば、体の中にとどめておきたくない感情を無意識のうちに空に放っている。泳いでいるとき、息継ぎのタイミングに合わせて一気に空気を吸い込んだあと、肺の中にある空気を全て吐き出すみたいに。どこかで息をしないと、人はいつか溺れる。

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他者の意思により書き換えられた日常。その世界で自分は異端と悟り孤独に苛まれる主人公。物語の冒頭で語られる彼の境遇に共感してこの本を読んだのが転職して数年が経過した頃だった。今回で三度目の再読。この物語は心が中庸へと回帰する連休にふと読みたくなる。理の探求に粗雑な日常は不向きだからなのだろう。心がそのことに気づいている。それに、昔に訪れた東南のアジアの国々の風景が思い出されて心が落ち着く。僕は人種のるつぼの中にまぎれていられるあの感覚が好きだった。反対に、どこか疎外感を感じてしまう欧米の国々は今も苦手だ。

十五年前に死んだ兄の部屋で見つけた一冊の書に導かれるように自らもインドへと渡る主人公の若きサラリーマン。そこから始まるその本が流れ来たり流れ行く諸行の物語。第二章の舞台はフランス革命の時代。現代といにしえの物語が並行して進みながら、過去はさらに時間を遡る。それぞれの時代の異端者が傍流から眺める景色は社会という名の対岸。そんな彼らの人生を、幾人もの手によって改訳を重ねた一冊の哲学書が繋ぐ。

どこまで史実なのかはわからない。でも、現代に生きる主人公が手にした『智慧の書』と記されたカバーの下に隠れていた原書は、読了後に調べると19世紀の哲学者が執筆した本として我々も書店で買うことができた。その現実が、虚構であるはずのこの物語と自分の人生が繋がっているかのような錯覚を抱かせ、読むたびにその時々の僕の心を震わせる。

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恐らくこの本は読む者を選ぶ。今は、安易に感涙やエモーショナルを求める時代だ。それに、アニメ映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の総監督を務めた庵野秀明氏が「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきている」と評した時代でもある。だから、魂の問題に目を向けたり、言葉は人間の精髄であると説く本書に関心を示す者はそう多くないだろう。それゆえに、この本に魅せられたことは誇りと捉えるべきではないか? そんなふうに個人的には思ったりする。

The key to the title






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