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UNTITLED REVIEW|明日が来ない街

先週末に早朝の駅ナカ書店で手に入れた新刊小説は読み終えるのに一週間かかった。その間の、山間部を走る列車が幾度となく通り抜けるトンネルの中で車内に繰り返し訪れる一時の暗闇のような慌ただしい夜に、僕は自分が咎められている夢を何度も見た。詳しい内容までは覚えていない。ただ、朝起きたときには誰かへの漠然としたうしろめたさだけがはっきりとした感覚を伴って身体中にねっとりまとわりついていた。

誰かといっても、それは特定の人物ではなく、僕の仕事に対するスタンスを批判する職場の同僚だったり、親の介護方針をめぐって不満を述べる親類縁者だったり。でも、数々の伏線を回収しきれずに終幕を迎えた物語のもう一人の主役だった彼女が僕を責め立てていた理由だけは思い出せなかった。もちろん、僕が見た夢と小説で描かれた物語に直接的な関連性はない。しかし、意識の暗い水面下にある何かに触れたのは間違いなさそうである。

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この作家の長編小説をデビュー作から順を追って読み進めてきた僕としては、色いろと心を揺さぶられる作品だった。先ず以て驚くのは約650頁にもおよぶ大作が分冊されずに文字通り単行本として発刊されたこと。そしてこれは、原書では著名な写真家の手がけたポートレイトに重厚感のある装丁を組み合わせることでその本のステイタスを体現していたにもかかわらず、本自体の美しさよりも機能性あるいは採算性を優先するためなのか日本語版ではわざわざ上下巻に分冊したりするセンスの無い仕様変更が気に入らなかった僕にとって歓迎すべき事態でもある。この潔さに心を掴まれた。本は厚みのあるほうがいい。物語の中のコーヒーショップで、登場人物の一人が読んでいたガルシア・マルケスの小説のように。

小説自体にも驚きはあった。読み進める途中でこれまでの作品との視点の違いにちょっとした違和感をおぼえた。確かにこの作家の初期作品には一人称で書かれたものが多かったが、近年は一人称小説の形式は踏襲しているものの、複数の主役の視点で捉えた世界を交互に描く作風がある種のスタイルのようになっていたように思う。それが本作品では一貫して視点が固定されていた。この作品が発売されるまで最新刊だった前作を読んでいないので断定はできないが、そこで何か変化の兆しはあったのか? これまであえて手に取ろうと思わなかった作品が急に読みたくなった。

長い旅路の終わりにも驚愕が待ち構えていた。いつもなら、物語が静かに幕を下ろすとそのあとに待っているのは本のエンドロールとも言える奥付のみだが、今回は終わったはずの物語のあとのページの版面にびっしりと文章が綴られていた。これが他の作家の小説ならさして驚かない。だか僕は短編集以外でこの作家の補足のような言葉をこれまで目にしたことがなかった。ご本人もある著書の中で、自分の小説にまえがきやあとがきのようなものをつけるのは、偉そうになるか、言い訳がましくなるか、そのどちらかの可能性が大きいので、そういうものをできるだけ書かないようにしているとの主旨の発言をされている。にもかかわらず今回のあとがきである。これまでの作家人生を回顧するかのような言葉に僕は、この作家の新作を我々はあといくつ読めるのだろう?との問いを自らに投げかけずにはいられなかった。

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長年勤めた以前の会社を辞めた時点で、実質的に僕は影を失くした。特に愛社精神が強かったわけでもないし、前職に未練があるわけでもない。だけど、社会に出てからの自らのアイデンティティを長い時間かけて形成してきた、ある種の高い壁に囲まれた街を逃れたことに対する悲しみや喪失感のようなものが今も僕の心のいちばん深い所に澱のように留まっている気がしてならない。現在勤める会社では未だに自分はよそ者であるとの感覚が抜けないし、さらにそこから一歩外に出た先に広がる無機質な景色に自分が帰属しているとの意識すらない。だから、たぶん僕はこの本の中の不確かな壁に囲まれた街をこれから何度も訪れることになるだろう。もしかすると、その場所こそが本来僕がいるべきところなのかもしれない。そんなふうに思う。それほどまでに自らの魂が強く引き寄せられる物語だった。でも、これらの想いは、僕の意識下でこしらえた架空の街で見た景色が基になっている。だから、誰かがどれほど強く望んたところで、そこに行けるわけはないことを最後に書き添えておきたい。

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