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社会人大学院生になってみた。

前にも書いたかもなのですが。
何年か前に受験して撃沈した大学院を再受験したところ、合格しました。
当時は国立と公立を併願していて、フルボッコ度と違和感を抱いた度のひくかったほうの公立大学院です。
ここまでの道のり的には、紆余曲折がありまして。

前回は圧迫面接であったのですが、なぜか、ずっと言われたことが引っかかって、いました。でも、個人として馬鹿にされたわけじゃないのです。
そのときのわたしがそう、受け止められたのだと客観的にわかってからは、少しですが、霧が晴れたような感覚になりました。

そこからが不思議。再度、コネクトしようと、ふと、思ったので、科目履修制度がないか、大学院に問い合わせてみました。
「ない」との返事にも関わらず、「再度、受験されてはいかがでしょうか」という励ましのメール返信だったのです。

「セレンディピティ」偶然のひらめき、のようなものは、時間の概念を超えてやってくることがあり、未来から過去へ手招きされているような感覚さえ覚えることがあって。
予期せずして重要な発見や創造につながる幸運な偶然(わたしは必然だと思っている)を指しており、新しい視点や解決策を生み出すきっかけになることがあるので、わたしはそのメールの導きと、「行け!」というひらめきに乗っかることに。

さて、そこから。
研究計画、志望動機などを作成しはじめ、前回ダメだったので徹底的に過去のものを客観視(メタ認知)しながら、ツッコミを入れながら、練り上げていきました。没頭は時に、次のようなことを起こしがち。

  • 柔軟性の欠如: 深く没頭すると、一度決めたアプローチや方法に固執しやすくなり、状況の変化に対して適応する柔軟性が失われ、より良い代替案や解決策を見落とすことがある。

  • 疲労とストレス: 長時間にわたって一つのタスクに集中すると、心理的および身体的な疲労が蓄積され、判断力を低下させ、エラーやミスのリスクを高める。

  • 過信: 没頭によって一時的な成功や成果を上げると、自分の能力や現在のアプローチに過信する。リスク評価を甘くする原因となり、思いがけない失敗を招くことがある。

  • 感情的な判断: 深く没頭していると、時に感情が判断に影響を与えることがある。特に、プロジェクトやタスクに強い情熱を持っている場合、客観的な評価が難しくなり、感情に基づく決定が失敗を引き起こすことがありる。

  • 視野の狭窄: 極度に集中すると、他の重要な情報や状況が見えなくなる「トンネルビジョン」とも呼ばれ、全体的な状況を見落とすことで、重要な警告信号や他の選択肢を見逃してしまう。

半年くらい、書いては寝せて、を繰り返し、これでいけるんじゃないの?と思えたのは、心を揺らすキーワードが自分の書いた文章から浮かび上がったように思えたから。
そのあとは、トントン拍子。入試はリラックスして臨めて。自分の中にひとつの軸が生まれていたような感覚。

現在も、毎日毎日、高校生のときに大学受験したよりも、タスクに取り組む時間は長く、恐らく7時間くらい、仕事から帰ってきてレポートを書いたり、文献にあたったりして頭を使っていますが、苦しくない。

これも運命の導きにそって動いているからで、体はついてきているだけという状態。ひとはやりたいことをやったほうがよいね。
魂の設定に沿わないことをすると、辛いわ、体を壊すわで。
ただ、見極めは必要ですよ。腰が落ち着かないひと、ってどうしても思われちゃうから。


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