あなたのそばで

まだこの世に生まれて3ヶ月も経たない人間の泣き声で起こされる。抱き上げると力強くのけぞって何かを伝えるように泣きが激しくなった。寝ぼけた頭と体では取り落としそうになるが、必死に耐える。手元の小さな灯りだけをつけて自分の乳房を含ませた。必死という言葉しか当てはまらないほど喉を鳴らして母乳を飲み始めた横顔を確認して、どっと疲れが体を巡る。慣れない姿勢の連続で首から背中は重く痛い。エアコンと、赤子がただ嚥下する音だけが響く午前3時。また2時間後には同じ姿勢をとって同じ音を聞いているのだろうなとぼんやり思いつつ、少しだけ瞼を閉じた。孤独の足跡を静かに感じる。

元々、子供が欲しいわけでもましてや産みたいわけでもなかった。産むのは恐ろしいし、経験した今も人間が人間を産むなんて馬鹿げていると思っている。2人目はとてもじゃないが考えたくもない。
それでも人生のパートナーから請われ、考え、悩み、作ることを決めた。紆余曲折もあった。十月十日を共に過ごし、何不自由なくここにいてくれることは何よりも尊い。子供が特段好きでもなかった私ですらそう思う。自分のことよりも、赤子のことを常に考える。赤子が泣けばすぐに飛んでいく。当然のことで不満もない。
が、やはり子育ては孤独だ。産んですぐからもう夜は続けて3時間も寝ていない。体の回復が追いつくこともなく、澱んだ疲れが身体に溜まっていくのを感じている。
身体的なものだけではない。言葉の通じない、人間になりたての生き物と常に隣り合わせにいるそのえも言われぬ辛さがたまに背中から肩を這い、顔を覆う。

深夜に聞くエアコンの音も、遮光カーテンから少しだけ漏れている朝の光も、私にこんなに孤独な世界があることを教えてくれた。

夫が協力的でないわけではない。私を労う言葉をかけてくれるし、子を可愛がっている。
それでも、明け方、薄闇の中で泣き暴れるいのちと対峙する時、私は圧倒的にこの世でただひとりだと痛感せざるをえない。私がひとたび消えてしまえばこのいのちも消えてしまう。このいのちは、私が眠かろうが体の節々が痛もうが関係なく、空腹を、不快を、泣き声だけで一方的に伝える。なんて、理不尽。

わかっていたはずの大変さも、言葉だけのことで、経験に勝るものはないのだと、改めて思う。
大変だというなら産まなきゃよかったという言説もあるが、そんなことを言うのは愚かで想像力に欠ける。だって、このいのちの塊はこんなにも儚くて愛おしくて、切ない。
子が可愛いことと、私が孤独を感じることは同時に存在し得るし、私は孤独を感じても子はそこにいて、私に愛しさを教えてくれる。

乳房から顔を離しそのまま眠る赤子の満足げなまつ毛が、薄闇でもしっかり見てとれる。余韻を楽しむように、小さな小さな唇がもごもごと動く様。安心し切って腕の中で眠る様。私の体に触れる本当に小さな手。
なんの衒いもなく、なんの恨みもなく、ただ、生きるためにある命の塊が、こんなにも愛らしく切ない。
さっきまで泣き喚いていたからか、目元に涙が溜まっている。全て投げ出したくなるたびに、彼の寝顔は私を引き留める。頭を撫でてもなお、彼は静かに眠っている。
毎夜、泣き声に起こされる度に孤独を感じては、息子の寝顔を見る度にその孤独は溶けていく。この薄闇は、そういうもので満たされている。そしてきっと、私と同じように過ごしているだろう世の母親たちに少し思いを馳せたりもする。

我が子を起こさぬようにそっと抱きしめ、ベッドに寝かせる。微動だにせず眠る子は、どんな夢を見ているのだろう。

あなたのそばで、私は眠る。
この暗闇に孤独を溶かして。
きっと明日の夜も、明後日の夜も。