心の丁寧さ

夫が起き上る衣擦れの音で目が覚めた。外からは相変わらず雨の音がしていても、厚い雲の向こうではちゃんと太陽が出ているらしくほんのり明るい。朝だな、とだけ思ってまた瞼を閉じる。夫が階段を下りていく音がする。静かに、ゆっくり、少し湿った足の裏をそっと階段につける音。平日中々起きないのになぜか休日だけはさっと起きる彼は、私を無理に起こすことはしない。私も、小学生の頃は5時とか6時に目が覚めていたんだけどな、と思ううちに眠りに落ちていた。
休日は、平日よりも遅く、それでいてちゃんと朝に起きようと思って9時に目覚ましをかけているのだけれど、体が拒否しているのか目覚めて認識する時間はいつも大体11時。調子がいいと10時半。頭が重く、盛大な寝ぐせを湛えたまま寝室からゆっくりと抜け出した。
階下では薄暗いリビングで、夫がソファにかけてスマホゲームをしていた。おはよう、ともごもご言うと、彼も眠そうな顔でもごもごおはようといった。卵焼き作ろうか、と問うと、うん、と答えたので冷蔵庫から卵を三つ取り出した。
シンクには、昨日の夕飯の残りを入れてあった小鉢が空っぽになっておかれていた。苦くないように下ごしらえしたゴーヤチャンプルー。早朝に起きた夫が食べたのだろうな、と思いながら空っぽいの小鉢に割った卵の殻を放った。私の朝が遅いから、夫はとくに朝ごはんを食べることもないし作ることもない。卵焼きと、昨日のこった味噌汁と、納豆と、解凍したご飯をテーブルに並べる。私は白湯だけ飲んで、もそもそと食事をする夫を見つめている。散らかったリビングで、雨の音を聞きながら私たちはどこか欠けた休日を過ごす。
出かける予定はないが、ロングワンピースに着替えていると、夫が眠いといって寝室に引っ込んでいった。私はその背中を見送る。
雨の音に交じって、たまに寝返りの音が聞こえてくる。きっと昼食は作らない。
今日の夕飯をことを考えながら、丁寧な暮らしについて思いをはせる。欠けた休日が過ぎていく。

丁寧な暮らしに憧れる。丁寧な暮らしがしたいとは思っている。できたら、おしゃれで、余分なものがない暮らし。ミニマリストになりたいわけではない。白い淡い光に包まれて、過不足のない暮らしに、憧れる。
SNSで流れてくる、だれかに見られることを拒まない暮らしの人々がいる。シンプルな服、ネイル、アクセサリー、たまにエッジ、白い壁、明るいベージュの家具、菫色のドライフラワー。味のある白い食器に乗った、朝食のホットサンドとアイスティー。夫と朗らかに笑いあう。
結局、できないのもわかっている、できないからこそ憧れる。
仕立てのよいワンピースを、丁寧に何年も着続ける。仕立てのよいデニムを、丁寧に手入れをして味わう。そういう生活。実際は安い服をシーズンごとに捨てては買い足すのを繰り返してしまう。そういう、人生。

いや、本当は、もっと、大切なことがある、そして、私に足りていないもの。足りて、いないもの。
わかっていても、きっと手に入らない、もの。
心の、丁寧さ。