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言い間違い

言い間違いで大きな損をすることもあるし、なんかラッキー的なこともある。悪意がないものであれば、聞いてる方も少し緩む瞬間が心地よかったりする。

特に子供のそれは、真剣だからこそ、そこにおかしさとか、親としての喜びとか、恥ずかしさとかいろんなものがあって、それが自分が親になったことを実感する一つだと思う、私にとって。

山ほどある言い間違いも、子供が小さい頃には一日に何度もあって片っ端から忘れていくのだけど、6歳の子供のはなんだか真剣さも増すし、笑ってはいけない!と思うほどに大人の心にじんじんきて、もうたまらなくおかしい気持ちにさせてくれる。

ある朝、ずっと使わずにいたチョコレートクリームをパンに塗ってだそう、と急に思った私。そんなこと普段しないから、自分でも急だな、とは思いつつも、子供達の喜ぶ顔が想像できたのでワクワクしながらの朝ごはん。

案の定、3歳の娘は「ワーーー!おかあしゃん、これチョコレートのだね!しゅごいね!」と大喜びしてくれて、なんかすっごいいことした気分にさせてくれる(そしてこの舌ったらずな喋り方!)。さて、普段はご飯がいい、という6歳の息子はなんて言うだろう。。。

「わ、これチョコレートなんだね!いいね!たまにはこういうのも」

なんて大人びて(私が思うに)言いながら、ふと彼は思いついた。

「そうか、今日はバレンタイなんだよね!?それでチョコパンにしてくれたんだ!ありがとう!お母さん!バレンタイだもんね。チョコもらえるんだもんね」

なんですと!?知ってたのバレンタイン!家では一度もそんな話したことないので、彼の外の世界がぐんぐん広がって、そこからたくさん吸収してるんだなーーーって実感。それでもまだやっぱり可愛いやつめ!なところ。と思いつつ、なんかおかしいと思って耳をすます。

バレンタイ?

「ン」 がないだけで、なんだろうこの強さ。この甘くなさそうさ。愛は囁けない。花束もそこにはない。なんか、格闘家を想像している私がいた。

「そう、今日はバレンタイ。好きな人にプレゼントする日だから、チョコパンにしたよ!」って言っておいたら、二人がとても満足そうな顔していて、これがバレンタインの本質なのでは。バレンタイでもバレンタインでもどっちでもいいんだと。なんて思った私のバレンタイン、新しいフェーズようこそ。(高校生くらいの甘酸っぱいバージョンも死ぬほど楽しかったけど)


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