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乾杯したい日

我が家は夫婦ともお酒大好きなので、なにかとお酒を絡めてお祝いをする。インフルエンザ完治の乾杯。出張から帰った乾杯。もうすぐクリスマスの乾杯。歯が抜けた乾杯。とりあえず、乾杯ばかりしてる。なんでもいいのよ、飲めれば。日常とほんのり違うだけで、それはもう乾杯にもってこいな日なわけで。

そんな私が、久々に、ひとりで心の底から、乾杯!自分!と思った日。

自分にとって、確実に別のステージに足を踏み入れられた!と実感できる瞬間がやってきた。

およそ一か月間の室内での作品展示。植物を扱ってのその期間の長さは、メンテナンスのことでがんじがらめになって、頭の中をぐるぐる廻るばかり。ここでいつもだいたい心折れてしまい、目先の楽しさや興味に駆られて、ハイペースで作品を作りまくって、あとで良く分からなくなる。なんの理由も見つからない状態で当日を迎えることもあった。

期間が長いからといって、ドライフラワーを使って、となりたくなかったのは、私の事情。おしゃれとか、そういうことを目指しているわけではなくて、私の中にある作品の思いを実験的に伝えたかった。生きてるものをぶつけたかった。

あと、自分自身が自分の向き合い方と向き合いたかった。

怖くても、試さないでいるのは嫌だ。新しい物を生み出さないのは嫌だ。

そんなフローリストには、なりたくない。

沢山の葛藤を、人生のここまでで、ずっとずっと繰り返してきた。目に見える、確実な何かを、投げ捨てた。この道じゃない道を選ぶ!と何度も自分を奮い立たせた。躓きながらも、ペースはバラバラながらも、やっと、ここまで、目指していたステージの近くまでやって来れたかもしれない、と思えた。

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作品ことを考えている瞬間は、それ以外の大切なことは全部私の中になかった。自分の大切な人の事も傷つけるようなことを何度も言って、その度に自分も傷ついた。そんなことしないでも、ここに来られる人間になりたかったけど、そこまでできた人間ではないのよ、私は。と開き直ってしまってごめんなさい。

そんな経験が出来てやっと、新しいステージの始まりを見れた気がした。

そんな日は乾杯に最高の日。

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