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ロプンの education と信仰

education は語源としてはもともとある能力を導く、引き出すといった意味合いだそう。モンテッソーリ教育などもここから来るのでしょうが、押し付け・詰め込み教育とは真逆。宗教は倫理観を教える教育機関だったはず。学校教育もそうだけど、宗教教育もこっちの方がいい。マルチ的なヒエラルキーを築いたものもあって、「宗教が役に立たない」と言われる時代。情報公開問題など理由は色々あると思うが、一番は宗教が「根拠なくても信じられる人のモノ」、という見方だろう。神様仏様に会った事ないのに、会ってもないのに、そこに祈ってラッキーも何もないだろ、という。

宗教はそもそも、「悪行・ヒドい言動・

悪感情を抑制するためのモノ」という

哲学がベースにあって、楽しく生きていく

ための人類の智慧。

道徳教育などもあるにはあるが、

同時に現代は「命より経済」

という意識も強くはびこり、それに

今だ対抗する決定的な効果を発揮

している状態ではない。むしろ日本は

かなり末期的。

神様や仏様がいてもいなくても、

遺された教えはまだ役に立つはず。

言葉じりは昔々のものだから現代に

合わない事もある。

でも、底に流れる精神・根幹は今の私達に

生かせる!

チベット仏教では、

「言葉じりでなく、何を伝えているか」

を、それこそお題目のように唱える。

信じているというなら、宗教を信仰する者

は、この根っこの部分を、また誰もが

環境を整える事で楽しく生きられる事を

信じていると思う。

何千年前の話がそのまま全て使えるとは

思えないし、実際合わない。

ただ宗教なら「命より経済」は憎むべき

だし、どんな「差別」とも戦うべきだ。

この二つと戦う考え方としても教育、

とりわけ本来的な宗教教育は使える。

ただ、学校法人並みに情報公開するべき。

信仰を強制したり、強要するような勧誘

はどこもフツーはしないので、

その時はもちろん拒否してください。

#宗教 #仏教#信仰#教育#倫理#チベット#チベット仏教#解脱

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。