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先生の代わりに
伝統宗教の価値が薄れた現代は、
倫理的価値観から経済至上主義へと
あらゆる事をお金に換算する、
「金銭的に価値がなければ価値がない」
と言っても過言ではない価値観が蔓延る
時代でもあります。
宗教団体が引き起こす事件や問題が多く、
宗教への信頼が失墜し、人の善意が
信用しにくいため、言いにくいですが
本来は宗教は倫理の実践のための、
それを裏付ける価値観、哲学を学べる
教育機関として代々機能する事で、
現代社会に受け入れられるべきでした。
今回意訳したゲシェ・ランリ・タンバの
心の訓練は、恩師が
「先生の代わりになるよ」と教えて下さった
短い教えです。
和訳もあるのですが、倫理的実践としての
仏教の価値観、考え方が分かりやすいので、
先生の代わりになればという意味で
訳しました。
以前意訳した「菩薩の宝石の首飾り」と同じ
「百の心の訓練」に収録されています。
八頌からなる心の訓練 意訳
私は全ての有情は(煩悩や悪習慣で思い通りにする事や願いが叶う事が娯楽なので、ほとんどが煩悩に抗えませんが、それでも本来仏様と同質の全き善が誰にも具わるので、私にとっては)如意宝珠よりも優れた存在であると思い、常に大切に出来ますように
どこでも誰と一緒でも(他の方へのコントロール欲を抑えるためにも)自分を誰より下と見て、他の方を(安心感・自由・様々な選択肢を贈る事などで)心から優れた存在と大切に出来ますように
いつでも行動中は自分の心を監視し(自分が不快で苦しいのは、他者や世界が願いを叶えてくれないから、ではなく自分自身に)煩悩が起きた(から)と気づいたら、自他にプラスがないからとすぐに対処して目の前から追い出せますように
元から素行の悪い人が重い罪や強い苦しみから(の犯罪などの行為を錯誤で娯楽と捉え、更に苦しめる行為をするといった)行動に歯止めがかからない時、(自他を大事にする邪魔をする敵を、健全な競争で戦う相手として)埋蔵された宝を見つけたように得難いと大事に出来ますように
私が他者から嫉妬で叱責等されても、それが的外れでも(小さな事なら)こちらの誤りを謝罪し、その方が正しいと勝ちを贈れますよう
私がお世話をし大きな期待をかけていた方から、全く割に合わない仕打ちという恩を仇で返されても、(自分がなすべき事を出来ているなら、がっかりしなくていいという事を教える)優れた先生と見られますように
まとめると直接・間接いずれにおいても、快適さ・安楽さは全て恩ある有情へ贈り、恩ある方への加害や支配などから来る苦しみ全て(をその苦しみに耐えられないからと)密かに私が引き受けられますよう
それら全ても世俗の八法(名誉と恥、
得と損、称賛と非難、楽と苦)といった煩悩を娯楽とする心の汚れに塗れず、全ての存在を(普遍なる絶対的な存在はなく、本当の虚無というのもない、存在は条件に依って成立する、言わば)幻と知る心で執着なく(悪感情の)枷より自由でありますように
インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。