ロプン、信仰と宗教団体
「信仰心はあるけど、宗教団体に入るのは怖い。」つまり、神仏への信仰と、宗教組織・団体の思惑の差を感じているという発言、もしくは訴えと同じに思う。
神や仏からすれば、「どの人も特別」と思っておられるし、逆に言えば「誰もが等しい」、仏が尊いようにフツーの人も尊いと思っているはずという気持ちが、私には強くある。
指導者も新参者も、神仏を信仰しない人も、神や仏の前では一緒。いや、神仏も一緒。
少なくとも、お釈迦様と弟子の関係は
対等だったと、私は見ている。
「仏を敬う者は私ではなく、新参者を
敬うように」など、自分への権力集中を
嫌ったような発言もあり「ブッダ最高!」
「仏スゲー!」「仏教は特別!」とかいう
意識は、感じられない。
神仏への信仰心がある方は、きっと
「誰もが特別」と思って愛する神仏を
信じるのだ。
宗教団体から一部感じるのが、もし教祖
御自身を含め「私(私達)は特別」という
意識があるなら、それは分け隔ての
ない愛ではなく、選民意識に他ならない。
宗教組織になった途端、もしくは入信
する事から始まる特別視から慈愛は
生まれない。
仏教なりキリスト教やイスラム教など、
「誰でも万遍なく愛される」事で、
永く信仰され愛されてきた。
誰もが対等に愛される宗教以外、
いつかカルト宗教になる可能性があるし
世間に受け入れられるはずがない。
#宗教 #仏教#チベット仏教#カルト宗教
インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。