オタク差別をなかったことにするリベラルな方々

今でこそオタク差別のようなものは徐々に減ってきてはいるものの、私が10代だった頃は確かにオタク差別はあった。当時、隠れオタクという言葉が当たり前に使われており、オタクであることは隠さなければ迫害の対象だった。事実、私も母親経由でクラスメイトの保護者に「うちの子供はあなたの子供みたいなオタクとは違うから」のような謎の宣言を行われ、家族会議でオタクをやめさせられそうになったこともあった。また、友人の一人が(たぶん)親からあのオタクと付き合うな的な圧力をかけられ疎遠になったこともあった。完全に被差別階級である。それから、私はオタク以外は全員ゴミ屑だと言う世界観で、オタクとのみ交流をし生きてきて立派な弱者男性になったのだ。

私がこのどうしようもない性質になったのは、オタク差別の影響も多いにあると思っている。考えてみてほしい。例えばサッカーが好きな普通の人間がいたとしよう。「あいつサッカー好きなんだぜ気持ち悪い」「サッカーをやる人間は犯罪者予備軍」「サッカー好きな人と付き合うのは無理かな」「(親から)サッカーなんてやるのをやめなさい」「趣味サッカーと書くと就職で不利になる可能性があります」みたいな世界で生活したらどうなるだろうか?私はまともな人間になる確率が著しく下がると感じる。現実、リア充だった人間がオタクになって時間がたつと、オタクのようになっていく現象は目の当たりにしたことがある。

このように明らかに存在したオタク差別をリベラルな方々はなかったことにした上、それを復活助長しようとするのだ。なぜなら、彼らにとってオタク差別はあってはならないのだ。もしオタク差別があったとしたら彼らの大好きな『累積的抑圧経験』をオタクが獲得してしまい、ポスターの炎上等はド直球の差別行為になってしまう。そこで彼らは「オタクは先天的要素じゃないから差別に当たらない。やめればいい」「そもそもオタク差別なんてなかった。公的に差別されてない」「オタクが悪いんじゃない、お前の人格がおかしいんだ」等々白々しいことを言って、差別をなかったことにしようとするのだ。非常に馬鹿馬鹿しい話だ。

先天的要素じゃなければ差別をしていいなら宗教差別はOKなのだろうか?将来、完全な性転換や人種転換が無料で可能になれば性差別や人種差別はOKなのだろうか?公的に差別されなければいいと言うのならば、もう女性差別は(ほとんど)ないだろう。現在、女性に抑圧を与える社会的な風潮はもちろん公的なものでは一切ない。どれもオタク差別を否定するには空しい言葉であることに疑いの余地はない。

今、黒人差別問題で世界が沸いている。NHKの番組だっただろうか?女性の黒人が出てきて、私たちは日本で差別されていると語るのである。具体的に出てきた体験は、肌色に塗った似顔絵に対して肌色じゃないでしょと言われたと、黒人の父親に対して怖そうと言われたという二点だった。これがリベラルな方々が熱狂する差別なのだ。一方、私たちオタクの表現はなんと「犯罪を誘発する」「女性差別を誘発する」最悪「性犯罪者を作り上げる」「(献血の景品にオタグッズを使うと)血が穢れる」等々という発言をされてきた。リベラルな方々からすればこれは差別ではないらしい。笑ってしまう。

今現在もまだオタク表現は、リベラルな方々から『差別を助長する悪』や『性犯罪者を作り出す悪』のように扱われ非常に熾烈な差別を受けている。だいぶ市民権を得てきたとは言え、私たちは差別されていた(また現在形でされている)ことを忘れないようにしなければならない。

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